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社務所どこ?今八幡宮

2009.03.30 15:58|神社探訪
 非常に由緒ある有名な神社なのですが…。

 ということで、山口市内最後の訪問した神社、今八幡宮です。


この社の創建年代は不明であるが、鎌倉時代に大内氏一九代弘成の娘に今八幡殿と呼ばれた人名があり、山口に大内氏が移る以前からあったことがわかる。文亀三年(一五〇三)大内氏三〇代義興が下宇野令の朝倉八幡宮を今八幡宮の地に移し、二社を合併して造建したのが現在の社殿であると伝えられている。
                 九州神社紀行より抜粋
 山口の総鎮守としてここに鎮座されているわけですね(^.^)

 で、こちらのエース狛犬さんもたか~い位置にいらっしゃいます(T_T)


 おかっぱ頭で大きな口を開けた、春ののどかな日差しを浴びて怖くもなんともない(?)愛嬌ある狛犬さんでした。

 写真の割にはたいしてきつくもない階段を上ると大きな楼門があります。

 実はここからお参りするのですが、その前に、楼門前の狛犬さんはなぜかマンガチック(^.^)


 どうも見た目同じ狛犬なのですが、角のある「獅子」の方が古いように見えませんか?

 石の材質が違うからなのか、光の加減なのか、奉納年月日もイマイチよくわかりませんでした。

 しかし鼻を膨らませて、「ふぉぐはぁわぁぁぁぁ~」って威嚇されているような気がする…(+o+)

 流石国の重要文化財を守る狛犬さん、ふぁいとう!!

 楼門です。


 参拝者はこちらから参拝をします。

 なんでこちらから…?

 そうなんですよ、実はこれが国の重要文化財たる所以なわけです。

 写真を見れば一目瞭然!!


 ご覧の通り、楼門と拝殿と本殿がすべてつながっています。

 楼門の写真を見てわかるとおり、楼門の両側に切妻造りの翼楼がありますね。

 そして拝殿は梁間一間の切妻造りです。

 楼門を拝殿に兼ねた造り方は山口地方独特の形式だそうで、なるほど、九州では全く見ない造りです。素晴らしい!!

 神社なれど、禅宗様の建築様式がふんだんに見られるところが国重文の指定を受けているのでしょう。

 本殿も古いながらも立派な造りです(^-^)


 蟇股マニアをカミングアウトしたので、蟇股をどうぞ(^.^)


 どうです(^.^)、素晴らしい装飾でしょ?

 蟇股そのものは禅宗様式だけど、中の装飾はさすが重要文化財に指定されているだけのことはありますね。

 で、御朱印をいただこうと社務所を探すも、どこにも見当たらないではありませんか(T_T)

 せっかくここまでやってきて…でもどこにもない!!

 境内を降りて探すもない!!社務所の住所は神社と同じなのにどこにもない!!

 エース狛犬がいる階段の上で私はこう叫ぶ!!

社務所、どこよ~~~~~~!!

 と。

 さてさて、山口神社仏閣紀行と面白めぐりはこれでおしまいです。

 あとはお土産なのですが、総じて山口市内は名刹古刹が多くてとてもいいところでした。

 時間の関係で回れるところが限られていたので、また来る機会があればぜひとも行ってみたいところもあります。

 高速道路1000円なら、ぜひともお勧めしたいところです。

 ここからなら萩、津和野のも行けるし、これから暑くなれば秋芳洞に行くのもよいでしょう。

 さあ、これからどこに行こうかな❤

 今八幡宮HP…http://ima8man.com/


 私のおすすめ:

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ザビエル記念堂…ん~

2009.03.29 16:04|go!go!go!


 とにかく時間があったので、しかも観光パンフレットにも「瑠璃光寺」と同じ大きな扱いをしている「山口ザビエル記念堂」にも行ってきました。

 長崎の古い教会を何度も見ている私にとって、ちょっと斬新的な建物に写ったのでした。
昭和27年、ザビエルの山口来訪後400年を記念して建堂されましたが、平成3年9月5日に焼失し、平成10年4月に再建されました。
新聖堂は神を象徴した「光」と、「水」「テント」が全体のテーマになっています。

また、高さ53メートルの2本の塔を配し、屋根が建物全体を覆う三角錐となっている斬新なデザインで、テント(幕屋)をイメージとしてつくられています。
           山口市観光ガイド「山口こころまち」より抜粋
 なるほど、まだ比較的新しい建物だったんですね。

 駐車場から降りて真っ先に目についたのが、この方!!


井戸端会議ならぬ、井戸端で説教するザビエル!

 なんだか「ザビエル」って、あの有名な絵のイメージ(てっぺんが禿げているヤツ)が強いせいか、イマイチ「ザビエル」っぽくない感じがしたけど、ちゃんとこの方がザビエルですよって、説明書もありました(^.^)

 イメージって怖いですね~(笑)

 しかもザビエルも頭がいいというか、心得ているというか、絶対井戸の周りには人が集まるから布教がしやすかったんでしょうね。さすが…。

 で、売店(?)らしき建物にはこのような言葉が張り出されていました。


 マザー・テレサのお言葉のようですが、直筆ではないでしょう。(当然)

 こちらに来たかどうかはわかりませんが、キリスト教徒ではない私でもこの方は好きな方でした。

 こちらには見事な「馬酔木」が…

 京都、宇治の「三室戸寺」を思い出す…(^.^)

 教会の屋根は照り返しであっつい!!

 で、いきなり「ぐぅおぅぉんぅぉお~~~~ん」と鐘が鳴り出す\(◎o◎)/!

 さすがの私もおどろいて、「なんじゃこりゃ~!!」とのけ反る始末!

 だって53m上にある9個の鐘が一斉になるんだもの…しかも、ジャスト14時だからいつまでも鐘の音が長い…(+o+)

 あまりの音の大きさに記念堂の中に入ると(避難)、なにやら…失礼やけど、「能面」みたいに無表情な人が受付におって、無料なんやけど、でっかい「寄付」を受け付ける箱があって…(-_-)

 旦那さんはあの鐘の音にすっかり興ざめして一刻もこの場から立ち去りたいらしくなったみたいで(笑)、鐘が鳴り終わるとそそくさ駐車場に戻って行ってしまいました(笑)

 せっかくだからと私だけ礼拝堂の中にはいると、ちゃんとした礼拝堂になっていて、お祈りをしている人もいてじゃませんように…。

 傍らには「ザビエル」本人の指の骨の一部がありました。

 遺体はイタリアのほうに安置されているらしく、「聖人」クラスになるとゆかりの地に骨の一部を安置するらしいのです。

 残念ながら写真はありませんが、年月を経て灰色になったザビエルの骨…。

 こういうのは仏教でいうところの「仏舎利塔」に近いのかな?

 いまいちキリスト教に精通していない私でしたが、帰り際…

 「ダミアン」と聞いてビビる私…しかも中には誰もいない…(+o+)

 だいたいは覗いてみる私だけど、もう「ダミアン」の名前を聞いてお腹一杯…。

 やっぱ、私の世代は「オーメン」で育ったせいか、この名前は怖いと思うのでした…。

 あの「ダミアン」とこちらの「ダミアンさん」はまったく別人なんやけどね…(笑)

 なんというか、長崎の古い教会ばかり見ている九州っ子の私にはこういう斬新な教会はイマイチピンとこなかった…。

 いい悪いではなくて、長崎の教会に比べたら歴史を感じるものがあまりなかったのでちょっと物足りなかった感じでした。

 そのうち年月が経っていい建物になっていくのだろうけど、その時は何年先だろう…。

 帰り際、また「ぐぅおぅぉんぅぉお~~~~ん」と鐘の音が!!

 どうも15分おきに鳴っているようです><(爆)

豊栄神社・野田神社の御朱印

2009.03.28 15:20|神社探訪
 山口県の戦国武将といえば、大内義隆よりも全国的に有名なのが毛利元就だと思います。

 まあ、大河ドラマの主役になったことも大きいでしょうし、「三本の矢の教え」も有名ですよね(^.^)

 ということで毛利元就を祀っている「豊栄(とよさか)神社」と明治維新の功労者である毛利敬親と養子の元徳を祀っている野田神社へと行ってきました。

 この二つの神社は隣あって、神社の大きさや形状も全く一緒です。

 社務所も一つになっています。

 では「豊栄神社」から(^.^) 

 神門です。


 あとで「野田神社」の神門の写真を掲載しますが、何か違いがあるでしょうか?(笑)

 有名な「一文字に三つ星」の毛利家の家紋がここでは神紋になっています(^.^)
関ヶ原の戦いの敗戦により安芸国から長門国に移封された毛利輝元が、萩・江向村の春日神社境内に祖父の元就の霊を祀ったのに始まる。宝暦12年(1762年)、長州藩主重就が、毛利氏の祖神とされる天穂日命と元就の霊を同神社に合祀して主祭神とし、仰徳大明神(仰徳社)と称した。

明治2年(1869年)、元就に正親町天皇の即位を援助するなど朝廷を崇敬する事跡があったことから、明治天皇より「豊栄」の神号が与えられ、豊栄神社に改称した。
    出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋

 こちらの狛犬さんは迫力満点!


 最近作られたみたいやけど、口元がすごい…なんか、違う色の息が出てきそうな感じがする…(+o+)

 神門を入ると至近距離に拝殿があって、すぐ先に大きな本殿があります。


 かの毛利元就公が祀られているのですが、こちらの社宝である、かの有名な「毛利元就公肖像画」(重要文化財)はこちらには展示していないようです。

 で、こちらで参拝した後境内を出ることなく、真横に「野田神社」が鎮座しています。

 こちらの本殿の作りも「豊栄神社」と同じ造りで違いを探すのが難しい…(笑)


 違いといえば、社号額ぐらいかな(^_-)-☆
明治6年(1873年)、長州藩最後の藩主で明治維新の功労者である毛利敬親を豊栄神社の別殿に祀り、敬親の諡号より忠正神社と称したのに始まる。翌明治7年(1874年)、鎮座地名からとった現在の野田神社に改称し、明治19年に現在地に遷座した。
    出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋
 歴史からいくとお隣さんの「豊栄神社」よりも新しい神社ですが、廃藩置県の折、毛利敬親の養子の元徳が初代山口藩知事のときに、萩から山口市に移転してきたときにこちらに移した神社だそうで、どちらも同じくらいの古さでした。

 神門を出るとちょっとばかり「豊栄神社」との違いがわかりますか~?


あまり違ったところはないみたいでした…(+o+)ちゃん、ちゃん(爆)

 でも狛犬は全然違いましたよ(^-^)


 「吽」の方は角がある「獅子」でした。

 あまりにも高い位置にあるので旦那さんに写真を撮ってもらったのだけど、お顔がわからず…(-_-)

 しかし何より、

どうだ!ワシの苔むした胸毛を見よ!!

 と言わんばかりの威風堂々とした狛犬です。(笑)

 やはり狛犬はこうでなくてはなりませんね(^.^)

 そしてここの神社の間にはこのような碑がありました。


 「百万一心」の碑だそうです。

 でもちょっと字の感じが違ってみませんか?

 実はこういうこと…


 なんと素晴らしいお言葉ですね!

 これはまさしく、先日連覇したWBC「侍ジャパン」そのものではないですか!!

 侍ジャパンは本物の侍だった何よりの証拠!ふはははは(笑)

 いい気になったところで(笑)、では御朱印です。


 こちらはあらかじめ、二社の御朱印が社務所にて用意されています。

 月と日付は自分で書くようになっています。

 もしなければすぐ隣が山口県神社庁になっていますので、そちらに訪ねて見てください。


  豊栄神社・野田神社

 山口県山口市上宇野令字野田831


 私のおすすめ:
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山口市平清水八幡宮

2009.03.26 15:08|神社探訪
 山口市内の神社探索はまだまだ続きます(^.^)

 平清水八幡宮の本殿は国の有形文化財に指定されていることだそうで、病院から近いということもあり、徒歩で行きました。

 まあ、徒歩で行く方がマンホールの蓋を探しやすいということもありまして(笑)

 平清水八幡宮の拝殿です(^.^)


 平清水八幡宮のご祭神は「応神天皇」、「神功皇后」、「田心姫命」だそうです。

 田心姫命ってどんな神様なのだろうか…?
タキリビメ(タギリヒメとも)は、日本神話に登場する神で、宗像三女神の一柱である。古事記では多紀理毘売命、日本書紀では田心姫(タゴリヒメ)・田霧姫と表記される。別名奥津島比売命(オキツシマヒメ)だが、日本書紀第三の一書ではイチキシマヒメの別名としている。
   出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
       (田心姫命 から転送)より抜粋
 ああ、宗像三女神の神様だったんだ\(◎o◎)/!

 だいたいは宗像三女神の三柱を一緒にお祀りしているところが多いのでわからなかった…(+_+)

 これだけ神社に行っているのに、なかなか神様の名前は覚えられない…(T_T)

 私もまだまだですね…というところで本殿のほうに回ってみますと、ああ素晴らしい、なだらかな屋根が…(^.^)


 平清水八幡宮は806年に宇佐神宮から勧請されたものとされています。

 本殿の構造手法からして室町時代前期の建築様式とされているそうです。

 ということはここの守護大名だった大内氏が台頭してきたときと同じ時期なりますね。

 さらに私が好きな「蟇股(かえるまた)」がここは有名らしく、市内で最も古いそうです。

 そう、何を隠そう私は蟇股マニア(笑)

 べつに隠していたわけではないけど、隠すようなもんではないし…(笑)蟇股が好きになったのは「奈良 室生寺」の蟇股が珍しくてだんだん好きになったってことです。

 今のマンホールの蓋が好きになったような感じで…(笑)

 で、これが蟇股です(^.^)


 カエルの股のように見えることからこう呼ばれています。

 蟇股は時代の変化を見る上でとても参考になるアイテムだそうですよ(^-^)

 こちらの拝殿の中には県の文化財である「木製狛犬」が安置されています。

 厳重な格子扉の向こうに見えたんですけど、私のデジカメでは遠すぎてフラッシュが届かない…(+o+)

 で、神社には山口県にちなんだ奉納絵馬などがたくさんありました。


 御存じ「壇の浦の戦い」…どっちが義経でどっちが平知盛かわからんけど(汗)

 これは…


 境内真正面にドカンと掲げられていた「明治天皇凱旋之図」だそうです。

 夫婦岩が書いてあるところを見ると伊勢神宮に参拝した後の帰京なのかも知れませんね。

 おお、そしてこれは!!


 かの有名な戦艦長門!!

 子供のころ女の子の遊びは全くしなかった私は、なぜかこの「戦艦長門」のプラモデルを作っていました(笑)懐かしくてパチリ!

 ここのエース狛犬の登場を忘れていました(^.^)


 平成17年にここの名誉宮司さんが金婚式の記念に奉納したそうです。

 なかなか素敵ではありませんか\(^o^)/

 なおここの神社の入り口には石材屋さんがありまして、この狛犬そっくりの狛犬が展示されていました(笑)絶対、ここの石材屋さんのやわ(*^_^*)

 拝殿前に構えている狛犬さんです。


 阿形のほうは頭が平らすぎてなんだかおかしいけど、安政5年からここの神社を守っているそうです…お疲れさま(^_-)-☆

 御朱印をいただこうと思ったのですが、社務所もなく宮司宅もわからず…。

 観光パンフレットに載っているだけにどっかに社務所はありそうだったんですけど、公民館と田んぼと石材屋しかなく(笑)断念しました。

 まあ、珍しい蟇股も見れたし、良しとしましょう(^.^)


 私のおすすめ:

桜満開の秋月杉の馬場

2009.03.25 20:17|をりふし・春
 いきなりですが、秋月は桜が満開との情報を得ましたので、ちょうどその付近に用事があったのでちょいと行ってきました(^-^)ビュン!!

 秋月は福岡県朝倉市(旧甘木市)にある福岡県内でも有数の桜の名所で、直線500mの杉の馬場通りが、約200本の桜のトンネルになっており、トンネルを抜けると秋月城跡があります。

 これまた秋月は「小京都」と呼ばれています。

 いったいいくつ日本には「小京都」があるのでしょう(笑)

 まず杉の馬場の入り口です(^.^)


 レンギョウとソメイヨシノのコラボ!!

 このレンギョウもかなりの大きさだったな~!!

 では「杉の馬場」の桜のトンネルをどうぞ\(^o^)/




寒かったけど、桜は最高!!満開ですばい!!

 人がいない瞬間を狙ったけど、ご覧の通り!

 週末になるともっと人が多くなるだろうね~、雨やけど(爆)

 平日なのに人だらけ…さすが日本人は桜が大好きなんだね。

 もちろん私もだけど(^_-)-☆

 ソメイヨシノは完全に満開\(◎o◎)/!

 ここは山に囲まれているため気温の変化が大きいうえ、老木のソメイヨシノが多いせいか、平地の暖かなところよりも早く満開になっていました。

「瓦坂」と呼ばれる橋です。

 瓦を敷き詰めて滑り止めの役目をしているわけですな(^.^)

絶好の撮影ポイントなのに、イチデジが欲か~(泣)

 このときとばかり露店がいっぱい(^.^)

 かぼちゃは今の時期にはないと思うけど…(笑)どこの国のかね?(T_T)

 そんな、筍の皮に直に値段を書かなくてもよかろうととこれ…あ~あ(+_+)

 お、なつかしや\(◎o◎)/!

 「イモ洗い水車」だ!!

 この水車の中に里芋を入れて、ガラガラ回すと芋の皮がきれいに向けるんですね。

 昔はどの川でもこういうことやっていたみたいですけど…。

 とことこ歩いて行くと、花見にはなくてはならないものが…\(^o^)/

 せっちん…ああ、なんて素晴らしきネーミング!!あははは(大笑)

 わざわざトイレと書かないところが日本人らしく、いやはや奥ゆかしい。

 久々の名前にウケてしまいました(^-^)

 そんなこんなで露店は冷やかすものの、何も買わず…(笑)

 気がつけば桜のトンネルはおしまいに…。


 青空が見えてきました(^-^)

 寒かったけど、よい天気で何よりの一日でした(^.^)

 さて、次はどこの花見に行こうかな? 


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山口大神宮の御朱印

2009.03.24 11:22|神社探訪
私は知らなかったんですけど、ここ山口大神宮は西のお伊勢さまと呼ばれているとのことで、ではさっそく行かねば!!ということで訪ねて行きました。

山口大神宮の御朱印 1

今日あたりはここの桜もほぼ満開やろうね…ああ、くやしか!!

 とはいえ、大神宮と思っていたら入口が狭くそんな大きな神社じゃないのかも…と思っていたら、後でとんでもないことに\(◎o◎)/!


永正17年(1520年)、大内氏30代目の大内義興が伊勢神宮の神霊を勧請して創建したものである。
当初は高嶺神明と称していたが、後柏原天皇から「高嶺太神宮」、後陽成天皇から「伊勢」の勅額が授けられ、高嶺太神宮、今伊勢と呼ばれるようになった。
昭和3年、県社に列せられ、社名を高嶺神社とした。昭和22年に現在の山口大神宮に改称した。
平成12年に式年遷宮を行った。
   出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋



それはさておき、社務所の横には木馬がおられました。

山口大神宮の御朱印 2

木彫神馬と呼ばれ、1820年(文政3年)に寄進されたもので、地元の工匠が3年近く彫って作ったものだそうです。

 モデルのお馬さんは当時の名馬だったそうで、今でいうと「ディープ・インパクト」…ちょいと懐かしいところで「シンボリ・ルドルフ」ちゅうところでしょうか(笑)

 いろんな神社で寄進された神馬はサラブレッドをモデルにしているせいか若干違和感があるけれど、こちらのは純国産のお馬さんっぽいせいか、神社の雰囲気にマッチしている(^.^)

 なんだかんだ冷やかして書いているようですけど、素晴らしいお馬さんでした(^.^)

 さて、こちらのエース狛犬は…


山口大神宮の御朱印 3


 瞳が大きくて愛嬌たっぷり…あんまし怖くないけど、ここの末社の「高嶺稲荷神社」の狐の神使は怖い…(+o+)

山口大神宮の御朱印 4

かわいい狐の神使はたくさんあったけど、やっぱり狐はこわいよな~。

 怖くないといけんのやろうか?そこのところはまだまだ勉強しなくては!!

 なお、もう1つの末社の多賀神社の狛犬は普通でしたので掲載しませんでした。

 いわゆる岡崎型というタイプです。

 神楽殿手前には鷺岩という珍しいものがあります。

 燈籠マニアにはたまらない\(^o^)/


山口大神宮の御朱印 5

江戸時代祇園社は大神宮境内にあった。
その神事に鷺舞があるが、鷺舞が終わるとこの岩の上に鷺の頭や羽根を置くことになっていた。
それでこの岩を鷺岩という。



燈籠の部分しか写していないですけど、岩そのものはかなり大きいものです。

で、神楽殿で参拝


山口大神宮の御朱印 6

はい、さようなら。」と帰ろうとする旦那さんを呼び止め、「あんた外宮、内宮に行かな!!」

 そうなんです、ここは西のお伊勢さま…(^_-)-☆

 奥に進んでいくと外宮・内宮を守る狛犬は無残にも…


山口大神宮の御朱印 7

朽ち果てて目はくぼみ、ガイコツむき出しのようだよ…(T_T)

 どう表現したらいいのか…例えが浮かばん(-_-)

 外宮です。ご祭神は豊受大御神(トヨウケノオオミカミ)


山口大神宮の御朱印 8

 そして内宮です。ご祭神はいうまでもなく天照大御神(アマテラスオオミカミ)。
山口大神宮の御朱印 9

 21年ごとに式年遷宮が行われているようで、外宮と内宮は対角線に建てられています。

 それぞれ、その前のお社は伊勢神宮のように小さな祠が建てられ、〆縄で立ち入り禁止に…。


山口大神宮の御朱印 10

こういうのをみると、早く大元の三重の伊勢神宮に行きたいな~❤

 あと、この山上に「岩戸社」があって天の岩戸に由来する岩穴があるのですが、うぐいす張りの石畳を踏んで遊び過ぎ、膝が痛くなって断念…(T_T)

 ああ、もったいない…(+_+)

 御朱印はこちら…


山口大神宮の御朱印 11

若い宮司さんでしたが、とてもよく対応してくれました(^.^)

 
 山口大神宮…山口市滝町4-4(県庁すぐ横)

 山口大神宮HP…http://www.yamaguchi-daijingu.or.jp/index.html 


愛しのマンホール21・山口市

2009.03.23 15:12|愛しのマンホール
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 全国100万と3人のマンホリストの皆様、こんにちは!

 久々の「愛しのマンホール」のコーナーは山口県山口市のマンホール蓋の登場です(^.^)

 だいたい今まで見たマンホールの蓋のデザインは自治体の木や花、名勝に「ゆるキャラ」などが多かったんですが、なぜかここはパラボラアンテナ…?

 ちょいと珍しいといえば珍しいのですが、これがまたすごいパラボラアンテナだったわけですな\(^o^)/
毎日膨大な量の情報が、世界70数ヶ国からインド洋上の衛星を経由し、市内仁保にある山口衛星通信局で中継などの通信を行っています。
また国際移動体衛星通信機構の衛星を利用して、船舶などと通信する日本唯一の通信所です。
まさにここ山口通信衛星局は、日本の情報の玄関口といえます。
パラボラアンテナは大小20基を数えます
      山口観光ガイド 「山口こころまち」より抜粋
ということで、山口市民が瑠璃光寺五重塔と同じくらい日本や世界に誇るパラボラアンテナだったわけですな\(^o^)/

 これのおかげで日本から「NHK紅白歌合戦」や「NHKのど自慢」海外の日本人に届けられ、われらが「WBC 侍ジャパン」の雄姿を見られるわけですよ!

 ありがたや!山口通信衛星所!!

 写真を撮りたかったんですけど、あまりにも大きくて”白”しか写らない…(+o+)

 で、パンフレットの写真をどうぞ…。

 さあ、明日はこの通信所の映像から「侍ジャパン」の雄姿を応援しようではありませんか!

 くわしい内容はこちら…



 私のおすすめ:
パラボラ・シーリング・ランプシェード

香山公園から洞春寺へ

2009.03.22 14:42|go!go!go!
 瑠璃光寺五重塔を何度も振り返り見ながら、毛利家墓所のある「香山公園」を抜け、「洞春寺」へと行きました。

 香山公園内(瑠璃光寺)には「大内弘世」の銅像があります。


大内弘世(おおうちひろよ)
南北朝時代の守護大名。大内氏の第9代当主。第8代当主・大内弘幸の嫡男。1366年、石見国の南朝勢力を駆逐した戦功により、石見守護に任じられる。1371年からは九州探題となっていた今川貞世(了俊)を助けて大宰府攻略や南朝勢力の攻略に戦功を挙げた。1374年、安芸国の毛利氏を攻めたが、3代将軍・足利義満から咎められて石見守護職を剥奪されたため、撤兵した。1380年に死去し、後を子の大内義弘が継いだ。弘世は本拠を大内館から山口へ移転し、京都に倣った都市計画に基づく市街整備を行う。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋
 ということで、西の小京都「山口市」の基礎を作った人で、嫡男大内義弘の代になると、応仁の乱をさけた京都の文化人がやってきて、当時の有力大名になったわけですが、応仁の乱で敗れた義弘は戦死。

 以後、大内氏は衰退してしまったわけですな…。

 もし、大内氏が勝っていたら後の歴史は変わっていたかもしれない…と思います。

 で、歩いていくと非常に面白いものを発見!!ジャン!!


 これのどこが面白いの?というあなた、実はこういうことなんですよ(^.^)

 そう、うぐいす張りの石畳なんですね(*^^)v

 うぐいす張りといえば、京都の二条城などが大変有名ですが、それらは板でできたもの。

 これは石畳なので結構珍しいものかと…。私も初めてでした!!

 さっそく試してみると、うんうん、たしかに「きゅっ」とか「プッ」とか「ブー」とか音がする!!

 それも全部の石畳が音がするわけでもなく、場所によっては音の大きさも違うので結構楽しい♪♪

 しかしあまりにも夢中になって痛めていた膝が痛くなってきた…(+o+)

 階段を上がると墓所に到着…。


 あまり近寄っても柵が邪魔してよくわからんし、歴代毛利家の墓所だから誰が誰こっちゃよくわからないので、全体がわかるように写したんだけど…あまりにも広すぎてよくわからない…(+o+)

 そんなこんなでまた石畳を踏みながら、洞春寺へ…。

 洞春寺は毛利元就の菩提寺です。


 写真は本堂で、江戸時代に焼失した後に再建されたそうです。

室町時代の1430年に、大内持盛(おおうちもちもり)が建立した観音寺の本堂でした。観音寺は江戸時代末には衰退し、そののち荒廃がひどくなったので、1915年に洞春寺に移築されました。
                山口県文化財要録より抜粋
 室町時代の建物らしく、本堂の「和様」とはちがう建物だということがよくわかりますね。

 今は銅板葺きの屋根ですが、もとはもとはこけら葺きだったそうで、私としてはこけら葺きのほうが好きなんだけどな\(^o^)/

 まあ、そんなこんなでこちらで御朱印をいただこうかと思ったのですが、工事中でごった返し、納経所もよくわからなかったで断念…(+o+)

 まあ、急に来たから下調べする時間もなかったし…。

 またおいでということでしょう。

 この後さらに散策が続きます(^.^)

瑠璃光寺の御朱印と国宝五重塔

2009.03.21 11:07|寺院探訪
 さて、なんだかんだで山口観光(?)ということで、まず山口に行ったらここに行かなければ…ということで、瑠璃光寺へと行ってきました。

 まあ、ここの前にあるお蕎麦屋さんがおいしいので、腹ごなししてからということに(笑)

 いきなり車から降りて歩いていくと、ああ、なんと美しい塔が!!


 検査中のわんこの心配事や、浮世のごたごたを一瞬忘れさせてくれる、衝撃的な美しさ!!

 これで桜が咲いていたらいうことないのに…ああ、おっしいな~(T_T)

 屋根の下も美しい!!


 さすが日本3名塔の一つだけあるよ\(◎o◎)/!

 (ちなみにあと二つは京都「醍醐寺五重塔」、奈良「法隆寺五重塔」です)

 醍醐寺五重塔、法隆寺五重塔は瓦葺で威風堂々として固さが見えるのだけど、こちらは檜皮葺なので、屋根の曲線が緩やかに見えて、実に見事!!

 日本で10番目に作られたこの五重塔は「五重塔の中で最も美しい」といわれるそうですが、まったく異議なし!!

 ごらんになるとその美しさは…「ミス・ユニバース、ベネズエラ代表」を見ているといった例えがふさわしいかと(^.^)

 それだけ美しいということです!(笑)

 なお、この塔の最大の特徴は二層にのみ回縁(まわりえん)がついているのですが、わかりますか?一枚目の写真のほうがわかるかと思います。

 ということで本堂にお参りを…


 ちょっと屋根の形が変わっていますね。

 瑠璃光寺は「保寧山 瑠璃光寺」といいまして曹洞宗のお寺です。

 御本尊は薬師如来で、大内氏の重臣陶弘房(すえひろふさ)の菩提寺です。

 陶弘房は、25代当主大内義弘とともに応仁の乱で戦死しました。

 面白いことに現在は「瑠璃光寺五重塔」となっていますが、もともとはこの五重塔はここにあった大内義弘が建てた「香積寺」のものだったのです。

 大内氏が滅んだあと、毛利氏が所領したのですが「関ヶ原の戦い」で敗れ、萩に居城を命ぜられました。

 そのときに「香積寺」は萩に移されたのですが、持っていけない五重塔は解体されるところ、山口の町民の嘆願のおかげでここに残されることになりました。
 
 よかった~、こんな美しい塔が木端微塵になるところでしたね\(^o^)/

 で、旦那さんは本堂横にあった薬師堂で一生懸命願をかけています。


 もちろんいわずもがな、私のことではなくリッツのことだけを祈っています。(苦笑)

 写真左の108個の数珠の玉を上から8個だけ落として願をかけると、願いがかなうそうです。

 欲張ってたくさん落とすとあまりよくないことが…だもんで、ゆっくり慎重に願かけしていましたよ。

 そしてこちらには心願成就「水かけ地蔵」が安置されています。


 柄杓にはかなえてもらいたいことが書かれていますよ。


 右から「良縁」、「厄徐」、「合格」、「身体健全」、「開運」って書いてあります。

 私はな~んも考えんと、「良縁」の柄杓を取ったのですが、旦那さんが「あんたは良縁じゃなくて、厄徐やろ!今のお前には厄徐が一番やなかかね?」と大笑いされてしまいました。

 たしかにそうなんやけど…その通りなんやけど…そんなに笑わんでもよかやんけ!!(怒)

 腹が立ったので、「厄徐」の柄杓でお地蔵さんにバンバン水を掛けまくりました!!おのれ!!(怒)

 ここにもおなじみ佛足石があったりして…


 なんで足の間に浄財が置いてあるのかわからず…(笑)

 五重塔はすごいけど、本堂の方はいろいろ願をかけてくれるところがいっぱいあって、おもしろいお寺だな~っていうのが感想です。

 なぜかミラクルな感じがしないでもないけど…(+o+)

 それだけ親しみやすいお寺なのかもわかりませんね。

 で、御朱印です。

 
 なんて書いているのだろう…???

 「菅心」でいいのかな?

 このあと、毛利家の墓所を抜けて洞春寺へと向かいます。 

GO!GO!山口!!

2009.03.20 20:30|愛犬リッツ
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