FC2ブログ

スポンサーサイト

--.--.-- --:--|スポンサー広告
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

三柱神社の御朱印

2011.02.28 15:16|神社探訪

 
 ええ…本当ならば、今日は買ったばかりのカメラの記事を書いてみたかったところですが、今月は一度も「神社仏閣」を書いていませんでしたので(爆)、さすがに書かないとまずい><
 
 という事で、柳川つながり、立花宗茂公つながりで三柱神社の記事です(^_^;)
 
 ここ三柱神社には藩祖立花宗茂公の他に、義理の父戸次道雪(べっきどうせつ・神社のパンフレットには立花鑑連(あきつら)公と記す)、その娘で宗茂公の妻千代(ぎんちよ)が祀られています。
 
 入口には銅(かね)の鳥居がお迎えです(^.^)かなり大きいですよ。
 
 ここは高畑公園内にあるので、散策路と参道が途中まで一緒になっています。
 
 歩くと神池…
 

 
 
 
 
 
 御花の松濤園を彷彿する、立派な池です。
 
 
 
 
 
 
 くの字に曲がった拝殿前には、かの第10代横綱「雲龍」の献燈籠がドスンとあります。
 

 
 あ、曲がって見えるのは燈籠が曲がっています(^_^;)座りが悪かったみたいです><
 
 横綱「雲龍」はこの近くの大和町というところの出身です。
 
 で、この雲龍は横綱土俵入りで有名な「雲龍型」で知られる名横綱、最近では朝青龍がこの雲龍型でした。
 
 朝青龍はここで横綱土俵入りを披露していますよ(*^_^*)
 
 
 エース狛犬は以外にだんご鼻…
 

 
 のどかな表情が印象的です(^.^)
 
 で、拝殿にあがります…。
 

 
 すっごい新しいですよね…今できたばっかりな感じがしますが…。
 
 実はここの神社、平成17年に放火に遭っています。
 
 本殿は無事でしたが、拝殿や楼門、回廊などは全焼焼失です。
 
 犯人は捕まったかどうかわかりませんが、とんでもない罰当たり!しかし、燃えたものは元に戻るわけではありません(涙)
 
 幸い拝殿は保険に入っていたのですぐに復興できたのですが、その他はまだまだこれから…。平成23年の今でも、なかなか復興は進んでいません。

 
 
 
 
  元はこんな感じだったんでしょうね…。
 
 
 
 
 
 
 
 HPには楼門だけが載っています。http://www.muneshige.com/place/mihashira.html
 
本殿は無事だったのですが、拝殿との兼ね合いで少し修理が施されています。
 

 
 実は罰あたりのために、本殿に近付くとセンサーが鳴る仕組みになっています。
 
 コンデジ時代の時に写したので、これで精っぱいil||li▄█▀█●il||li
 
 
 

 
 
 
 火はあとちょっとのところで本殿に迫るところだったんですね。
 
 本殿に一番近い、たぶん後の子孫の方が寄進した燈籠(立花○○って書いてありました。○○は読めませんでした><)は無残な姿がそのままでおいてあります(涙)
 
 
 
 
 
 本殿前の銅の狛犬は実に立派ですが、近づけないためにこれくらいの大きさで。
 

 
 よく溶けないで残ってくれました。神恩でしょうね、きっと。
 
 本当ならばもっと見どころがあるはずなのでしょうけど、早く復興できるようにと願わずにはいられません。
 

 
 御朱印には立花家の家紋、「祇園守」が神紋として使われています。
 
 日付は二年前なのは気にしないでください(爆)
スポンサーサイト

柳川藩主立花家別邸御花(大広間&松濤園)

2011.02.27 11:03|go!go!go!

 
 続きです(^.^)雛段が見えなくなるまで、どっさりか飾ってある「さげもん」…どれくらいあるんでしょう(^_^;)
 
 大人だったらかき分けて見に行かないといけない…やっぱ、「おんなのこ」…小さい女の子のお節句であって、「ベテランおんなのこ」は遠くから見ないといけません(笑)
 

 
 
 
 前回の記事で「天井は大丈夫だろうか?」とのコメントが多数寄せられましたが、”たぶん”大丈夫だと思います(笑)
 
 
 

 
 
 
 
 お庭には紫外線もなんのその、たくましいお雛さまがおられます(爆)
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 大広間の前にはなんと、兜がずら~~~~~っと!
 
 
 
 

 
 こちらは「金箔押桃形兜(きんぱくおしももなりかぶと)」といい、桃山時代から江戸初期のものが、このように400体ほどむき出しで展示されています@@
 
 当時はこの形の兜が一般的だったそうです。
 
 中には「文禄・慶長の役」で使われたものもあるとか…。
 
 きれいに金箔が残っているものは資料館に展示してあります。
 
 お雛様やさげもんばっかり見て飽きてきた殿方には、嬉しい兜ですね~(*^_^*)こういうところが、大名屋敷らしいところだと思います。
 

 
 屋敷の外に出ると、ここにも紫外線に負けないお雛さまが飾ってあります。
 
 顔形はかなり昼いものだと思いますが、”持つべきもの”をもっていないので外においているのかな?
 
 あるいは、持っていかれないように最初から外しているのかも?
 

 
 こちらは国の名勝「松濤園」です。
 
現 在の「松濤園」は、明治43年に十四代立花寛治伯爵によって整えられました。その呼称のとおりクロマツに囲まれた池庭で、座敷からの眺望を楽しむ観賞式の庭園です。園内には約280本のクロマツ,庭石1500個,石灯籠14基があり,沓脱石の巨石は旧天守閣の台石を移したといわています。園池のなかの二つの島と多数の岩島および水面は、冬場には飛来する野鴨が群れ遊ぶ見事な景観を見せます。~HPより抜粋~
 
 ああ~、いいですね~~、贅沢を言えば、向こうの方で松の手入れをしている人が見えなければもっとよかった(^_^;)
 
 冬は野生のカモなどが来て羽を休めるそうです。ときに、ここで薪能も催されるようですよ(*^_^*)
 
 私はこの景色も好きだけど…
 

 
 奥に見える西洋館と、手前の江戸時代からある大広間、二つの相まった景色が見られるところが好きです。
 
 如何にも明治らしい建物の作りですよね。今はこういう作りの建物ってあまりないんじゃないでしょうか。当時からのものだとなおさら少ないのかもしれません。
 
 この後資料館を見て藩祖立花宗茂の甲冑を見て感激!!
 
 歴代藩主の甲冑もありましたが、戦乱の世が終わったときに作られた甲冑は派手できれいなのだけど、魅力がいまいち…。
 
 入場券に印刷してあった、立花宗茂の甲冑…。
 

 
 こちらともう一つ地味な方『伊予札縫延栗色革包仏丸胴具足(いよざねぬいのべくりいろかわつつみほとけまるどうぐそく)』展示してありますが、私は地味な方が好き。
 
 これはこれで好きですが…惹かれるのは地味な方ですね(*^_^*)
 
 こちらの兜にある月輪と胸にある月輪、いろいろ諸説ありますが、仲良しだった加藤清正の『蛇の目紋』とかかわりがあるのではないかと言われています。
 
 女の子同士仲良しが同じものを持つ感覚と同じ?なのか?まさか(爆)ワハハ!
 
 ということで、御花はこれにておしまいです(^.^)
 
 いや~、なかなか楽しいところでした。見るべきものはすべて素晴らしくて美しい。
 
 世代や男女に関係なく楽しめるところですね。近くでなかったら、一度泊ってみたいところではあります(* ̄m ̄)
 
 柳川藩主立花家別邸御花HP…http://www.ohana.co.jp/index.html
 
 立花家史料館HP…http://www.ohana.co.jp/museum/index.html
 
 ※立花家史料館のHPは、わざわざ見に行かなくてもいいくらい、とても立派で充実したHPです(爆)
 
 

柳川藩主立花家別邸御花(西洋館)

2011.02.25 20:20|go!go!go!

 
 柳川といえば、『御花』をはずしては語れません。という事で、行ってまいりました!
 
 初代藩主「立花宗茂公」の博多祇園山笠の曳山がお出迎えです。
 
 悲しいことに、立花の殿さま、全国的には決してメジャーな殿様ではありません。とはいえ、昨今の戦国ゲームではめっぽう強く、関ヶ原で西軍についたため、一度柳川を離れてしまうのですが、見事返り咲き『リストラの神様』なんぞと言われておりますが、大変立派な殿様です。
 
 その5代藩主の別邸がこちら「御花」です。側室や子供達が暮らしていたところです。
 
 その後、明治時代には立花藩主は『伯爵』となって、西洋館が建築され、「立花伯爵家」となりました。
 
 詳しいことは後ほどHPを設けますので、そちらをご覧ください。私のブログ記事なんぞ歯が立たないほど、立派なHPです(爆)
 

 
 
 
 
 入ってすぐに「さげもん」があります。
 
 「さげもんを見るなら御花へ」と言われるほど、ここはたくさんのさげもんがあります。
 
 
 
 
 
 
 
 ここの地方ではさげもんは、女の子のお節句には欠かせないものです。
 
 初節句の時はこうしてご近所親戚から、たくさんのさげもんが届きます。
 
 さげもんは「一列に7つ、7列を一つとして飾りが49個」です。
 
 それに大きな鞠が二つ付きます。全部で51個。人間50年と言われた昔、一つでも長生きしてもらいたいとの親の気持ちが、50ではなく51個に表しているとのことです(涙)
 
 まずは西洋館から…
 

 
 
 
 
 
 奥が三連アーチ式になっています。
 
 壁は漆喰…日本建築のよさですね(^_-)-☆
 
 
 
 
 
 
 

 
 詳しいことはHPを見ていただければ、きれいに載っていますので、私の方はHPに載っていないところを主に載せていきますね(^_-)-☆
 
 こちらは洋間の奥にある書斎。洋間は結婚式場になっています。
 
 残念ながら座ることはできません。当時のままのもので、傷んでいるらしいとのこと。
 
 そういえば、我が家のダイニングテーブルも壊れていた(爆) それはよいとして…(*_*;
 

 
 こちらも1階の洋間、2階よりも狭い作りですが、とても光が入って暖かく感じます。
 
 洋間だけど日本家屋の雰囲気もあって、妙に落ち着きますね。
 
 こういう洋間は憧れです(^_-)-☆
 
 なんだか「真珠夫人」になったような錯覚に陥る…「純潔を守るのよ!!」なんて(笑)
 
 
 

 
 
 
  渡り廊下にいく途中にもさげもんが…。
 
 古い感じですけど、とってもきれいです。
 
 そしてここを抜けると…
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 うわ~~~~(●^o^●)(●^o^●)
 
 つづく…。
 
 柳川藩主立花家別邸御花HP…http://www.ohana.co.jp/index.html

柳川探訪

2011.02.24 10:42|go!go!go!

 
 梅の花にがっかりした私たちは、梅の花よりもっときらびやかなものを見に来ようと、柳川まで出てきました(*^。^*)
 
 こちらは以前、従兄弟一家が帰国した際に行ったうなぎ屋さん。
 
 あ、うなぎのにょろにょろじゃなくて、かば焼きととかになって食事するところです(爆)
 
 

 
 ご覧あそばせ、このせいろ蒸し…。
 
 ちょっと端っこを箸でつついてしまいましたが、途中気がついて激写しました(笑)
 
 ここはせいろ蒸しがお勧めです(*^^)v
 
 私が幼少期の頃、従兄弟とたちと食べに行ったときに断られたそうです(^_^;)
 
 ここは全部御座敷で、うるさいガキンチョが4人もいたからだと思います(私が筆頭!)
 
 でも、私たちが食べたとなりの個室のベテラン女子どもの方がうるさくて…鉄槌をくらわせました(爆)
 
 そのあとは、ちょいとばかりブラッっと…。
 

 
 
 
 
 お土産類を買いに…。
 
 ここは、有明海の魚類や干物などを売っています(*^。^*)
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 赤貝のでかいこと、でかいこと…。
 
 この赤貝で握ったお寿司を食べると、ソートー美味しいんでしょうね(*^。^*)
 
 となりのサザエが小さく見えるわ…重さも充分ありましたよ。
 
 小さいのは手ごろな価格で、買って帰って佃煮にしようかと思ったけど、面倒なのでパス(笑)
 
 気が向いたら作ります、ワハハ!
 

 
 
 
 
 柳川は九州でも屈指の水郷です。
 
 柳が芽吹いてくる頃が、川くだりには一番いいかも?
 
 今は船にコタツがついていますよ(*^^)v
 
 
 
 

 
 
 
 
 水路伝いに歩いていくと…
 
 ここは、あの有名な殿さまの蔵!!
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 立花家別邸『御花』&国の名勝『松濤園』へ…。
 
 
 つづく。
 
 
 
  

青輝園の御座敷梅(2)

2011.02.23 09:36|をりふし・冬

 
 昨日の続きです(*^_^*)
 
 この家の中に盆梅がたくさんあります。以前は2階にも置いてあったのですが、高齢のため2階に持って上がるのが大変らしく、今年は1階だけしかありませんでした。
 

 
 
 
 
 2階の上がり口のところにある紅梅も…見事な枝ぶりです(爆)
 
 花は残念ですが、やはり盆梅として見ると、バランスがとれていい感じですよね(*^_^*)
 
 
 
 
 
 
 2階には吊るし雛(こちらでは『さげもん』といいます)がありました。
 

 
 一番奥の『さげもん』(お雛様に一番近いところ)は1対15万円なり。
 
 手前に行くほど安くなりますが、一番手前の物でも5万円でした。
 
 昔、この地方では初節句に親戚やご近所さんが一つずつ、家にあるハギレなどで作ってくれて、寄せ集めて飾っていたのですが、最近は作る人もなく、やはり作るとなるとこれくらいの値段になるのでしょうね。
 
 ”絶世の美女”(?)として生まれた私も、初節句には作ってもらいました。
 
 ですが、今私の手元に残っているのは『毬』だけです。
 
 こんな感じの毬ですよ(*^_^*)
 

 私の毬は、いつかお見せするときがあったら、記事にしますね(^_-)-☆
 
 外に出て見ると…
 

 
 
 
 
 
 満開なのは、かなり大きな蝋梅だけ…il||li▄█▀█●il||li
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ここの名物、平安時代からあるとされるとても珍しい『古代紅鶯宿梅(こだいべにおうしゅく)』と呼ばれる梅があるのですが…。
  
 il||li▄█▀█●il||liち、ちいさなつぼみだけ…il||li▄█▀█●il||li
 

 
 一番膨らんでいたのはこれだけ…il||li▄█▀█●il||li
 
 今日あたりは花が膨らんでいると思いますが…これが見たかったのになぁ~il||li▄█▀█●il||li
 
 パンフレットからどうぞ…il||li▄█▀█●il||li
 

 色が濃くて、昔を彷彿とさせる、気品ある花ですね(^_-)-☆
 
 ここには他にも五葉松の盆栽もあります。
 

 
 『祖母五葉』と名前がついていて、樹齢は推定で300年だそうです。
 
 松も見事ですけど、盆栽の鉢も明治時代のもの。
 
 これだけ大きいと「地植え」にしてもいいと思うのですが、やはり盆栽には盆栽の良さがありますからね。
 
 で、もっと大きな盆栽が…。
 

 
 世界最大級の盆栽『翔天の松 青龍』推定樹齢は250年だそうです。
 
 下にある盆栽が普通サイズなので、如何に大きいか…世界一とは書いていなくて、世界最大級というのがミソですね(^_^;)
 
 いや~、これは大きいです…貸し出しもしているそうですが、これは一体どこに貸し出すのか…普通のクレーンでは厳しいかも?
 
 こんな感じで、枝ぶりのよい盆栽や盆梅を見てきましたが、少ない中でも花を激写してまいりました。
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  八重咲きの方が早かったみたいですね(*^。^*)
 
 この後、柳川方面に向かってご飯を食べた後、立花家別邸『御花』へ…。

青輝園の御座敷梅(1)

2011.02.22 08:45|をりふし・冬

 
 先週、御座敷梅を見に行ってきました。というよりは、誘われて行ったのですが…。
 
 今年の冬は寒かったので「まだ咲いとらんて~~!」というにもかかわらず、叔母たちは「いんにゃ(訳:いいや)!去年は今頃行っても、もう終わりかけとったけん、ちょうどよかくさ!(訳;ちょうどよいに決まっている!)」などと言い切るので行ったのですが…。
 

 
 
 
 
 
 
 受付のところはこんな風に咲いていたのですが…。(きれいですよね❤)
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 ああ、今から膨らんでくる感じです><
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 御座敷の中はどうでしょうか。ちなみに御座敷梅とは、
 
初代田中正一の盆梅をめでる心、いたわる心を大切に受け継いで、民家の座敷で鑑賞するとのことだそうです。 その盆梅が梅林のごとくたくさんあるので、「御座敷梅林」(青輝園の登録商標になっています)と呼ばれています。
 
 では御座敷の中はどうかというと…
 

 
 
 
 
 
 ああ、2分咲きという感じかな…。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 仏間に至っては、これだけの巨木の梅ですけど、まだまだでした。
 
 これでは梅の花を見に行ったというよりも、枝ぶりを見に行ったようなもの(ToT)/~~~
 
 
 
 
 

 
 
 
 う~ん、見事な枝ぶりです(爆)
 
 やはり、私の我を押し通せばよかったんでしょうけど、バツが悪そうにしている叔母たちを見ていると、そういう事を言うわけにもいかず…(T_T)
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 小さいのはこんな感じで、きれいに咲いているのですよ…。
 
 本当は奥の方までびっしりと梅の花なのですが…。
 
 
 
 
 

 
 
 
 ここの梅は大体、300年物の梅が多いんですよ(^_-)-☆
 
 でも…咲いていない盆梅を見るのは、とても複雑な心境(^_^;)
 
 愛好家なら「う~ん、見事な枝ぶり!」と絶賛するのでしょうけどね(涙)
 
 
 

 
 本来はここはぶわわわ~~っと梅の花と梅の香りで満ちあふれているはずなのですが…やはり、今年の冬は尋常じゃなかったからでしょうか?本州よりも、開花が遅れているみたいです><
 
 ここに来るのは初めてではなく、何度か来ています。
 
 でも、こんなに咲いていないのは初めて><
 
 せっかくですので、パンフレットの梅の花をどうぞ。本来はこんな感じです。
 

 
 こういうのを見たかったんですけど…il||li▄█▀█●il||liil||li▄█▀█●il||li
 
 仕方がありません、人が花に合わせなくては…。
 
 ということで、もう一回続きがあります。続く…。

【「怨念」おんな太閤記】他

2011.02.21 10:14|読書いろいろ
 
 ファンタジー大河ドラマ、「GO」の影響があってかなくてかわかりませんが(笑)、戦国時代の女性の話をモチーフにした本が読みたくなりました。
 
 「おんな太閤記」上に『怨念』という字がついています。別に悪霊が出るわけではなくて、「念」、つまりは「うらみつらみ」がテーマになった本です。
 
 ここの本に登場する女性は「みずき」と名乗る女性、後に「南の方」と呼ばれる今でいう、滋賀県の長浜にいた一人の女性が主人公です。
 
 この南の方は秀吉との間にできた石松丸(本では万寿丸と書いています)の生母です。石松丸は残念ながら7つの時に亡くなるのですが、石松丸を殺した犯人こそが怨念の相手、「(ねね)おね」であるというビックリの設定です@@
 
 糟糠の妻、秀吉の養子たちを育て上げて戦国時代の女性の中でも人気のある彼女ですが、本によると長浜城に母子で入城した南の方が気に入らなかった…とのこと。
 
 秀吉は女好きで知られているものの、実子がなく、本妻のおねとの間に子供ができなかったことは周知だと思います。そのおねは秀吉が大好き❤で、浮気相手との間にできた子供は嫌い!だったら、養子の方がまだいい!という感じでしょうか、わかりやすく言うと(^_^;)
 
 こういうところが女の『業』なのでしょうけど、南の方からその石松丸(万寿丸)を奪い、養育するのですが、見えないところで(実は見られている)縁の下にたたき落として殺そうとしたり、柿の木に細工して落ちたり(落としたり)と、とんでもないことをして、おねはとうとう子供を殺してしまいます。
 
 本によると、実は実子が育たなかったのはすべて「おねが事故に見せかけて殺した」と書いてあります。確かに淀殿との間にできた最初の子も夭折してしまったし…。
 
 作者はそういうところをうまく描いていて、とても面白かったです。短編ですし、文章もとてもよく書けていたと思います。
 
 主人公に謎が多い「南の方」を選んだのもよかったかな、この本を読んで、なんとなく瀬戸内寂聴さんが書いた「女人源氏物語」とタブってしまった(^_^;)
 
 一人の男を巡る女性の争いという点では同じなのですが、まあ光源氏と秀吉とでは全く似ても似つかない!(爆)ワハハ!
 
 
 『苦しい時の神頼み』と言いますし、最近はパワースポットなるものが流行っていますが(私はこのパワースポットという言葉が大嫌い!)、祈願するにあたってきちんと知っておくのも作法としては必要なこともあるので、一度呼んでおこうと思い読んでみました。
 
 御利益ばかり期待しても、日々の生活がそれに伴わなければ御利益は得られないのは当たり前ですけど…という事で読んでみたのですが、書いてあることはよく知られていることが多いですね。
 
 学業の神様は「太宰府天満宮」、「北野天満宮」とか…。知らないことも多かったですけど、参拝の折には役に立つかも。
 
 ただ、解せないのはこの本、特に神社の名前を書き間違えていることが非常に多い!
 
 出版するときにちゃんとチェックしなかったのかな~。
 
 他の地域のことはよくわかりませんが、九州の神社の名前が間違っているよ(怒)
 
 たとえば、高良大社→高良神社とか、宗像大社→宗像神社、英彦山神宮に至っては英彦山神社!!
 
 フリーライターさん、頼みますよil||li▄█▀█●il||li神宮と神社とでは全く違いますil||li▄█▀█●il||liil||li▄█▀█●il||li
 
 神社・神宮の違いについては明治神宮のHPをご覧ください。
 
 追記…神社の名前が間違っているのは、たまに正確な表記だったり、そうでなかったりしています。ページによって、正確だったり間違ったり…そっちの方がもっと悪いですよね(^_^;) 
 他3冊…18冊(2月21日現在)

鍋島直茂陣跡の発掘調査(2)

2011.02.19 14:46|go!go!go!

 

諸般の事情につき、写真などのお持ち帰りはご遠慮ください。

 
 続きです(*^_^*)
 
 鍋島直茂の陣跡、実は他の陣には見られない、大きな特徴があります。それはこのような虎口(出入り口)が非常にたくさん作られているということです。
 

 
 こちらもそうですね。こちらはすぐ横に壁があったそうですが、今は木が立っています。これは自然に生えたものだそうですよ(^.^)
 
 本当はこの木を取り除いたほうが、石垣保護のためによいのでしょうけど、やはり私有地なため、このままにしておくようです。
 
 こちらも虎口がありますが、これがまた他の陣屋のは見られない特徴があります。
 

 
 ここは写真の左側に虎口があるのですが、ここは入ってすぐ二つに分かれています
 
 こういった形はたくさんある陣屋でも他に類がないそうで、なぜこのような形になったのか…。まだ研究段階で確定的ではないものの、ここに鍋島直茂が置かれた立場が垣間見えるという事です。
 
 当時の佐賀領内は、龍造寺隆信という強力な大名がいました。が、龍造寺隆信は島原での戦いで討死。跡を継いだ高房という嫡男、その他の龍造寺一門は、従兄弟である鍋島直茂に領国の統治を委ねたわけです。
 
 なので鍋島直茂はその実力を秀吉に認められていながらも、いまだ家臣という立場でしかありませんでした。領国統治を委ねられたとしても、龍造寺の家臣たちとの主従関係が完全に確立していない状態の中での、文禄・慶長の役です。当然、主君である龍造寺の家臣と、古くから鍋島直茂に使えている家臣との間でいさかいがあっても不思議ではないと思います。
 
 しかも、となりの陣…といっても、上から見下ろせる位置に陣取っているのは豊臣秀長の息子の秀保がいます。
 
 当然直茂も気苦労が絶えなかったかもしれません。いさかいがあれば秀吉の耳に入るやもしれませんから…。
 
 トラブル回避のために直茂が虎口や曲輪をたくさん作って、なるべく龍造寺の家臣と自分の家臣と顔を合わせないような配慮があったのかも…という事らしいです。
 
 という事で、この陣はその規模の大きさや特殊な陣屋構成から、時代背景が垣間見える貴重な文化遺産だという事がうかがえるという事です(*^_^*)
 
 3枚目のところにはほぼ完全な形で石段が残っていました。
 

 
 ここは入って歩いてもOKでした。かなり頑丈に作られていましたよ。
 
 H媛さま、うらやましいでしょう(爆)ここを「な~んで直茂の下で、かの国まで戦に行かなならんのかい!!」とか、「龍造寺のヤツ、偉そうに!」とブツクサ言いながら歩いていたのかもしれませんね(笑)
 

 
 こちらはおそらく…でしかないのですが、直茂の住まいがあったかもしれないと言われる場所です。
 
 平たんにするために盛土の跡が発見されました。私には同じ土にしか見えないんですけど…わずかな違いがあるのかな?さすがですね。
 

 
 ここも虎口の跡ですが、ご覧のように石組がグチャグチャ…長い年月を感じます。ここでは丸瓦が発見されました。拡大時にわかりやすいように、少しトリミングをしてみました。
 
 

 こちらは丸石が発見されました。これは海から拾ってきた石だそうで、この陣の真下崖、海になっています。
 
 直茂の陣は文禄・慶長の役では「実動部隊」。そのため、待機部隊であったお隣の秀保の陣はこの丸石がたくさんあるそうです。
 
 庭に敷きつめて茶の湯などを催した跡があったみたいですよ。実動部隊との差は大きいですね…(^_^;)
 

 
 土塁の前で一生懸命説明をしてくださる、学芸員のお兄さん…。
 

 
 見学経路の出口には、ここで一番見事な石垣がありました。
 
 ああ、石垣フェチにはたまらないです…見事でしょう~見て見て❤
 

 
 出口の目の前には、堀秀治の陣の跡があります。
 
 ここは常時見に来ることは可能です。見に来やすいように、駐車場など完備されていますよ。ここは本当のお城みたいな作りの陣があったそうです。
 
 

 
 手前の串道は当時からあったもので、今では簡単なコンクリートで舗装され車で入ることはできますが、ほとんど農作業用の軽トラしか入れません。
 
 秀保の陣も写真の部分は私有地で見られませんが、一部は見学可能なところもあるそうです。
 
 そんな感じで1時間弱の見学はおしまいです。
 
 今後(たぶん今日か明日)に埋め戻しの作業が始まるという事ですから、おそらくこの状態を見ることはなくなるでしょう。
 
 歴史のほんのさわりぐらいしかわからない私でしたが、二度と見ることができないであろう鍋島直茂の陣跡、寒い中、行ってよかったと思います。
 
 補足ですが、秀吉が亡くなったあと、この一帯はすべて大名が陣を引いてしまいましたが、ここ鍋島直茂の陣屋は佐賀市大和町の「玉林寺」に一部が移築されています。

 ※写真のお持ち帰りはご遠慮いただいていますが、資料等に使いたいと思っていらっしゃる方、お気に入りに登録していただいている方に限って、文字を消したものをお送りいたします。
 
 その際はゲストブックにてご連絡ください。

鍋島直茂陣跡の発掘調査(1)

2011.02.18 15:36|go!go!go!

 

諸般の事情につき、写真などのお持ち帰りはご遠慮ください。

 
 日付にもあるように、2月13日に唐津市鎮西町にある名護屋城の周辺にあった、鍋島直茂の陣跡の発掘調査現地説明会へ行ってきました(*^_^*)
 
 ご存じ、豊臣秀吉の文禄・慶長の役の際に、ここに名護屋城が築城されたのは学校で習ったことがあると思います。
 
 諸大名などがこぞって城の周りに陣屋を築いていたこともご存知かと思いますが、今回7年間をかけて佐賀藩藩祖、鍋島直茂の陣跡の発掘調査が終わりました。
 
 ただ、この陣跡は私有地のため、発掘が終わり次第、現場保存ということもありすべて埋め戻されてしまいます。
 
 このほど地主さんの意向で一日、決められた時間だけ見学が許可されたので、雪が降った道悪の中を、歴史に興味がないマッチを引き連れていってまいりました。
 
 次に見ることはまずない、貴重な写真ばっかりですので楽しみに見てください。あまり難しい言葉は私もわかりませんので、気楽に読んでくださればありがたいです。
 
 と言っても、写真はほとんど藪と石の写真ですが(爆)
 
 まずは名護屋城の周辺、どんな陣がしかれていたか見てみましょう。
 

 
 戦国オールスターズのみなさんです(爆) これだけの人がこの狭いエリアにいたんですから、歴男・歴女の皆さんはぜひ会いに行きたかったでしょう(爆)特に、H媛さん、Y麿さん、U喜多さん(爆2)
 
 徳川家康と藤堂高虎の陣は二つあるようですね。
 
 有名どころに線を引いてみましたが、石田三成の陣が離れているのは…なにか意味があるのかな?
 
 これだけ回ればいいブログネタになるのですが(爆)、残念ながら私有地のところもあるので、全部は回れません(^_^;)
 
 そのうち、この方面に出かけたら、行けるところは行ってみたいと思います(*^_^*)
 
 では、丸で囲ってある、鍋島直茂の陣へ入って行きます。
 

 
 幟旗は鍋島本家とその親戚などの家紋が入っています。
 
 ほ、欲しい…❤
 
 ご覧のように山の中でしょう、当時はここに陣屋があって、城下町もあったようです。
 
 なんと、赤ちゃんを背負った女性も一緒でした。
 
 みなさん、好きなんですね(*^_^*)もとより私も(笑)
 
 
 

 
 
 
 ご覧のような藪の中です。
 
 なんというか、時の流れを感じますね…。
 
 
 
 
 

 最初に目についたのは、陣や東側尾根にある石垣です。
 
 ここは「曲輪(くるわ)」と呼ばれる、城を構成する区画だったところで、この石垣の向こうに曲輪がたくさんあり、そこには家臣たちが暮らしていたそうです。
 
 実はこの鍋島直茂の陣の特徴として、この曲輪と出入り口である「虎口(とらくち)」が非常に多いことがわかりました。
 
 これは他の陣には見られないことで、実はここに佐賀領のお家事情が関係あるとされています。
 
 どんなお家事情だったのでしょう…ふふふ、お楽しみ(*^_^*)後ほどの写真でよくわかると思います(*^^)v
 

 
 このように石垣が崩れているのは時間の経過もありますが、猪の仕業もあるとのこと…いや~、猪ってすごいですね(^_^;)
 
 その落ちてきた石垣には、石を割ったときについた矢穴の跡が残っています。昔はダイナマイトはなかったからですね…こうやって、石を割っていたんですね。
 

 
 ここも曲輪の場所らしいんですけど、やぶだらけでその名残すら見受けられません。ここも発掘したらしいですけど、なにも出て来なかったとのこと。
 
 私にはタダの藪にしか見えないけど、わかる人にはわかるんでしょうね…すごいなぁ@@
 
 説明を聞きながらズンズン歩いていきます。
 

 
 ここは当時のまま、比較的状態の良い石垣が残っていました。
 
 1.5m~2mの石垣だそうです。
 
 参考までにマッチの身長を書いておきました。大体の高さがわかると思います。
 
 この石垣の上が鍋島直茂の住まいがあったかも?あるいは、重臣が住んでいたかもだそうです。
 

 
 ああ、石垣フェチにはたまりません❤見事な石垣ですよね~❤❤ 惚れぼれしますよ(爆)
 
 石垣フェチのKららさん、H太さん、そう思いませんか?❤
 

 
  ああ、残念なことに、虎口の手前で石垣が崩れていました。
 
 これは木の根っこですね。ここは秀吉が死亡したとき、サッサと陣を引いてしまったのですが、そのあとほとんど人が入っていなかったんでしょうか、石垣の石を盗まれたような感じはありませんでした。
 
 次は虎口(出入り口)から上がって、いよいよお家事情が垣間見える部分を…という事で続く。
 

 
 ※写真のお持ち帰りはご遠慮いただいていますが、資料等に使いたいと思っていらっしゃる方、お気に入りに登録していただいている方に限って、文字を消したものをお送りいたします。
 
 その際はゲストブックにてご連絡ください。
 

愛しのマンホール85・佐賀県唐津市呼子町

2011.02.17 10:20|愛しのマンホール

 全国100万と15人のマンホリストの皆様、おはようございます。
 
 今日は天気はあまり良くないですが、気温も3月中旬並み、久しぶりに暖房を入れないで過ごせています(^.^)
 
 現地説明会の帰りに寄った佐賀県唐津市の呼子町で捕獲した「朝市マンホール」です(笑)
 
 と言っても、朝市の場所以外でもこのマンホールはあちこちあるんですけど、やはり日本三大朝市で有名な呼子町らしいデザインマンホールですね。
 
 ま~るい蓋にイカやサザエに魚に海老と、まるで海鮮弁当のように見えなくもない(笑)
 

 
 ああ、なんかぼやけているil||li▄█▀█●il||li
 
 マンホールに描かれている橋はこの橋、加部島とを結ぶ呼子大橋です。
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 この日は午後から行ったので、残念ながら朝市は終わっていました。
 
 
 
 
 
 
 
 呼子は言わずと知れた、イカの活き造りで有名で、町のあちこちにイカがいます(^.^)
 

 
 
 
 
 洗濯物ではありません、地元の子供たちが作った、イカのランタンです(*^_^*)
 
 
 
 
 

 
 
 イカの顔ハメ看板。
 
 こちらのお店は映画「悪人」のロケ地になったとか。
 
 さかんに自慢していました。
 
 

 
 
 ここにもイカ干しマシン参上!
 
 夏でないなら、虫はいないので普通に干してもいいのでしょうけど、これの方が早く乾くんでしょうね(^_^;)
 
 
 すごい勢いで回っていますが…
 

 
 
 
 
 止まっていると、気持ちがっかりするのはなぜだろう?(笑)
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 あら~~、船までイカです(*^_^*)
 
 
 
 
 
 
 とにかくイカがたくさんの呼子町。
 
 食べるだけでなく、見るのも楽しいですよ(*^_^*)
 
 ちなみに…あ、これは書かない方がいいか(笑)
プロフィール

ふぅ

Author:ふぅ
メインは神社仏閣ブログです。
現在突貫工事中です。

最新記事

カテゴリ

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

検索フォーム

リンク

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

  • ページトップへ
  • ホームへ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。