松下村塾と松陰神社2
2013.07.12 08:30|旅の思い出|
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ということで続きです(*^_^*)
松下村塾の一番奥にあるのが松陰神社。
松下村塾と幽閉されていた住宅があるせいか、神社部分の敷地はそう広くはないものの、境内には松の木がたくさん。神社の周りはクスノキで覆われ、緑が気持ちよかったです。
マッチがいうには、前来たときよりもきれいになっていてびっくりしたとのこと。マッチが行ったのはかれこれ10年以上15年未満ぐらいだったので、そのあと宝物殿とかができてきれいになったんでしょう。
たしかに松下村塾のような建物は古いのですが、周りがとてもきれいすぎて垢抜けているのがなんともな感じでした。
それもまた時代が経つにつれ、自然と落ち着いてくるのでしょう。
松陰神社は明治23年(1890)8月、松下村塾のかつての塾生たちらが、吉田松陰を祀る土蔵造りの祠が立てられました。
それが松陰神社の前身で、明治40年(1907)、松下村塾出身の伊藤博文や野村靖が中心となって、この祠を公の神社として創建しようと、山口県に請願書が提出されました。その後「県社・松陰神社」となりました。
こちらが拝殿。
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人を入れないで撮るのはさすがに難しかったです。
子供の日ということで、家族連れが多かったかな~。きっと氏にあやかろうという大人のもくろみ…いや、親御さんの熱い思いが伝わります^^;
人を入れたことで、神社がそれほどまで大きくないというのがわかりますね。これも、長州人の奥ゆかしさなのかも?
こちらの神社は吉田松陰大先生お一人が御祭神。
その大先生をお守りするエースはかなり厳ついお顔をしてました。

ステキな枯れ具合になってますね(*^_^*)
隣は松下村塾で学んだ塾生52柱を祀る松門神社。
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「松下村塾の門下生」という意味で「松門神社」なんでしょうか?
こちらが旧社殿…本殿を作った際の旧社殿。最初に作られた祠がこちらになります。
エースは先生よりもやや控えめな大きさで、迫力も控えめ?(笑)

私の好みとしてはこちらが好きかも?(笑)
口の珠が取れそうで取れないんだな^^;
こちらが松門神社の本殿です。
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土台は補修されたんでしょうね。上の蔵というか、祠の部分は昔のようでした。
隣は松陰先生がいらっしゃる本殿。
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千木(ちぎ)・鰹木(かつおぎ)がなんとも美しかったです。
鰹木には、神社の神紋「五瓜に卍( ごかにまんじ)」という、ちょっと珍しい紋です。
といいつつ、しっかり写真を撮っていないので、あとでHPで見てください^^;
本殿右側には観学堂という祠があります。
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こちらは松下村塾の門下生、品川弥二郎の生誕地にあったもので、品川弥二郎がこちらの松門神社に合祀されたので、祠だけこちらに来たそうです。
品川弥二郎は明治の日本において産業組合を作ったり、内務大臣を歴任したり、吉田松陰曰く「傑出した稀にみる男子なり」とおっしゃったようですよ(*^_^*)
宝物殿はわんこ連れでは行けないのでパス!
いずれ行ってみたいものですね。
で、御朱印。

こちらは若い宮司さんが書いてくれました。墨を擦って書いてくれたんだけど、筆がなぜか筆ペン…。
腰が強いからでしょうか。わからんけど、書きやすかったんでしょうね。
境内を去るとき、梅の実が。
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5月5日だというのに、もう実が熟し始めてました。
この後からだんだん暑くなってきたんですよね…。今日も暑いです。
どうぞご用心されてください。私はすっかりダウンしました^^;
松陰神社公式HP…http://www.shoin-jinja.jp/
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