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残しておきたい26

2011.04.16 22:00|残しておきたい~震災関連

<福島第1原発>避難苦? 飯舘村102歳男性が自殺

毎日新聞 4月14日(木)1時1分配信
 東京電力福島第1原発事故で避難することになった福島県飯舘村の102歳の男性が自宅で自殺していたことが13日、地元関係者の話で分かった。

 関係者によると、死亡したのは12日。長男夫婦と3人で住んでおり、避難の話し合いをしていたさなかだった。自宅を離れることを苦にしたとみられるという。

 同村は原発事故の影響で放射線の数値が高く、政府が「計画的避難区域」に指定する方針の地域。【金寿英】

<東日本大震災>児童7割死亡・不明 校長、無念さにじませ

毎日新聞 4月14日(木)2時31分配信
 東日本大震災で全校児童の約7割にあたる74人の死者・行方不明者を出した宮城県石巻市立大川小学校の柏葉照幸校長(57)は13日、毎日新聞の取材に「津波対策をと話し合っていたところだった」と語った。大川小の児童の多くは避難中に津波にのまれたが、校外にいて難を免れた校長は、無念さをにじませた。

 柏葉校長によると、10年2月のチリ地震で「津波対策を講じなければとの声が出たが具体化しなかった」という。しかし、大震災2日前の3月9日に同県内で震度5弱を観測する地震があり「改めて逃げ場を探さなければならない、PTAの力を借りて裏の山に階段を付けようか、という話が持ち上がっていた」と明かした。

 3月11日、大きな地震で教職員11人と児童たちはいったん校庭に集まった後、学校から約200メートル離れた、やや小高くなっていた新北上大橋のたもとに逃げようとして津波にのまれた。

 ◇「自分がいても…」

 震災前、大川小では津波に備え「高いところ」に逃げることになっていた。柏葉校長は「校舎2階か裏手にある山かどちらかに逃げればと考えていた。居た先生たちも悩んだはず。しかし、どちらも津波が襲った。自分がいても被害者が大勢出たことには変わりなかっただろう」と述べた。発生当時は中学生の娘の卒業式で同県大崎市内にいた。

 柏葉校長は亡くなった児童に「ただ安らかに眠ってほしい。子供たちにはこれからいっぱいやりたいことや将来があった。本当に無念だったと思う」と話した。【遠藤拓】

気仙沼の再起を記録に…カナダ女性が撮影続ける

読売新聞 4月15日(金)11時55分配信
日本大震災からの復興を目指す宮城県気仙沼市の姿をドキュメンタリー映像に残そうと、被災地の撮影を続けるカナダ人女性がいる。

 来日して20年間、日本の漁村の研究を続けてきた国連大学の研究者、アン・マクドナルドさん(45)。変わり果てた“第二の故郷”の姿に心を痛めながらも、「再起しようとする人間の力強さを記録に残したい」と漁業関係者にインタビューを重ねている。

 「まるで戦場のよう」。今月12日、いまだに水の引かないJR南気仙沼駅近くの広場で、マクドナルドさんは立ちつくした。魚と重油の混じったような臭いが満ち、路肩に幾重にも積まれたがれきが散乱する。「私にとって大切な場所。惨状を見るのは悲しいが、それでも目を背けてはいけないと思う」

 現在は、環境問題を研究する国連大学高等研究所いしかわ・かなざわオペレーティング・ユニット所長を務めるマクドナルドさんが来日したのは1991年。全国の漁村を巡り、そこに生きる人々の暮らしを研究してきた。これまで訪れたのは北海道から沖縄県まで2000か所以上。「自然の脅威に敬意を払いながら、海との共存を続ける漁民の強さにひかれた」という。今は金沢市に住むが、97年~2008年まで宮城県で暮らしていた。

 今回の震災では、漁村研究の中で知り合った友人も安否が分からなくなっている。「漁村や漁港の活気に満ちた雰囲気が好きだった」というマクドナルドさん。それでも、「ここからどう復興していくのか伝えることで、内外に支援を訴えられるのでは」と撮影を決めた。

 撮影場所は、カツオやサンマの水揚げが日本トップクラスの気仙沼。最初の撮影となる今回は12日から3日間、被災したカキ養殖や水産加工会社の映像を撮影すると共に、漁協組合長や観光業者、商工会議所などにインタビューした。

<東日本大震災>カンボジア・地雷原の村から義援金とお守り

毎日新聞 4月16日(土)15時0分配信
 カンボジアの地雷原の村から義援金が届いた--。内戦による多くの地雷が残るカンボジアで、綿の栽培や加工によって細々と暮らす人たちから、東日本大震災の被災地への義援金とお守りが届いた。彼らの綿製品作りを支援する日本のNPO法人は「額は少ないかもしれないが、貧しい彼らにとっては大変なお金。苦しい中、日本のことを思ってくれる気持ちに感激した。彼らの思いを被災地に届けたい」と話す。

 義援金を寄せたのは、カンボジアの北西に位置する地雷原の村やプノンペン近郊で、綿を有機栽培し、ストールなどに加工している人たち。多くは、地雷被害で足などを失い、経済的に困窮していた。日本のNPO法人「地雷原を綿畑に!」が09年ごろから彼らを支援、綿製品作りを通じ、徐々に収入が得られるようになっていた。

 義援金は、綿製品作りにかかわる約30人の工賃や染め賃1カ月分など計8万円。カンボジアの貧しい地域の1家族の年収約7万円を超える額だ。プノンペン近郊に住む女性たちは、近くの寺院に通って被災地の人々への祈りをささげているという。地雷原の村に住む人からは「今回の地震と津波で、日本の多くの方が亡くなり、被災されたことに、地雷被害者メンバーはショックと悲しみに包まれています。どうか私たちに、皆様の苦しみを分かち合わせてください」とのメッセージも届いた。

 NPO法人の石井麻木代表は「日本からの支援を受けていた人たちが、逆に支援を申し出てくれた。彼らが深く考えた末の思いやりと考え、義援金を受け取ることにした。彼らのことを誇りに思う」と話す。【永山悦子】

「原発ほぼ制御不能の所まで行った」細野補佐官

読売新聞 4月16日(土)12時8分配信
 細野豪志首相補佐官は16日午前のBS朝日の番組で、東京電力福島第一原子力発電所の事故発生直後の状況について、「どん底までいった。ほとんど制御不能のところまでいった」と述べ、一時、かなり危機的な事態に陥っていたことを明らかにした。

 その上で、「少しずつだが、コントロールできるようになった。冷却機能の回復という大きな壁を乗り越えないといけない」と強調した。

「計画避難」期間示さず=飯舘・川俣を訪問、住民に謝罪-福山副長官

時事通信 4月16日(土)18時46分配信
 福山哲郎官房副長官は16日午後、福島第1原発から半径20キロ圏外に設ける「計画的避難区域」の対象となった福島県飯舘村と川俣町を訪れ、避難計画策定に向けた今後の対応を住民に説明した。地元との調整がついていない段階で区域設定を発表したことについて、福山氏は「困惑と不安を招き、心からおわびする」と謝罪。しかし、避難期間の具体的見通しは示さず、住民からは「配慮が足りない」などと政府への批判が相次いだ。
 飯舘村の住民約100人が参加した集会で、菅野典雄村長は「全村避難という言葉に(住民には)憤りなどいろんな思いがある」と強調。避難期間の明確化や避難先での学校機能の確保、農林商工業者への補償などを求める要望書を福山氏に手渡した。
 福山氏は、農家などへの補償を確約し、村内で飼育されている「飯舘牛」の圏外移送を検討していることなどを説明。一方で、避難期間の見通しについては「一日も早く原発を安定させ、放射性物質を放出しない状況をつくり、村に帰ってもらう努力をしたい」と述べるにとどまった。住民からは「精神的、肉体的負担への配慮が足りない」「避難するつもりはない。罰則はあるのか」といった声が上がり、集会は擦れ違いに終わった。
 この後、福山氏は一部が計画的避難区域となる川俣町に移動。住民約400人が集まった会合で、同じ町内の放射線量が低い地域に仮設住宅を造って避難を進めたいと説明した。参加者からは「子どもがいるから早く避難したい」との声も上がった。

新人女性技官は臨床心理士、陸自隊員の心ケア

読売新聞 4月16日(土)14時37分配信
 東日本大震災の被災地で捜索活動を続ける陸上自衛隊で、臨床心理士として福島駐屯地に配属されたばかりの新人女性技官が、過酷な現場で神経をすり減らす隊員らの心のケアにあたっている。

 震災発生から1か月が過ぎ、隊員の疲労もピークに達する中、「新戦力」にかかる期待は大きい。

 福島駐屯地の一角にある診療室。屈強な自衛官が訪れ、防衛技官の有園愛(いと)さん(29)に心の悩みを打ち明ける。沈痛な面持ちだったり、淡々としていたりと表情は様々だが、共通するのは「数多くの遺体と長時間向かい合うことによる不安感」という。

 かつて経験したことがない相談の数々。有園さんは捜索現場の生々しい様子に耳を傾け、先入観を持たず、その場の雰囲気が張りつめないように気遣いながら、「安心して大丈夫ですよ」「急性ストレス障害の症状ですね」などと声をかける。

 有園さんは、鹿児島市出身で、東北大学卒業後に臨床心理士の資格を取った。鹿児島県内の中学校でスクールカウンセラーを務めた後、「地元には自衛隊の施設も多く、身近な存在だった」と防衛省を志した。学生時代を過ごした東北地方を職場に選んだのも、自然なことだった。

 震災のニュースは、鹿児島市の実家で知った。美しかった松島湾の無残な姿がテレビに映し出され、胸が詰まった。学生時代の友人たちの安否もしばらく分からない日が続いた。4月からの配属が決まっていた福島は、第一原発で放射能漏れ事故が起きていたが、有園さんは逆に「力になりたい」と自分の選んだ道へ決意を強くした。

 同駐屯地の隊員は現在、宮城県石巻市や東松島市で、それぞれ捜索活動を続ける。数多くの遺体を連日のように目の当たりにし、駐屯地に戻ってきた隊員の間では、「精神的なショックや極度の緊張感、その後の無力感などを訴える人が多い」という。
最終更新:4月16日(土)14時37分
 
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