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旧伊藤伝右衛門邸を見学

2009.05.08 15:59|go!go!go!
 GW中は人も多くて、四六時中旦那の顔と向き合うのもしんどく(笑)、比較的近場で以前から気になっていた福岡県飯塚市にある「旧伊藤伝右衛門邸」を見に行ってきました(^.^)

 この方、名前だけ聞いてもよくわからないと思いますが、かの一世を風靡した昼メロの「真珠夫人」のアノいやらしさ満点でネルのギラギラしたガウンをはおった「大和田伸也」扮する荘田勝平のモデルになった人です。

 この昼メロが流行った頃はここはまだ公開されていなく、2年前にやっと公開が始まったばかりです。

 タイムリーなら訪れる人も相当いたでしょうに…と思っていたら、たくさんの人が見に来ていました(^.^)



 伊藤伝右衛門は先妻が亡くなった後、妾もたくさんいたらしいのですが、柳原侯爵の娘で大正天皇のいとこに当たる白蓮(本名燦子)と結婚するも、親子ほど年の離れた夫婦で、しかも生まれも育ちも全く違う二人の結婚生活はうまくいかず、とうとうかの有名な「絶縁状事件」が起きるのですが…。

 そのいきさつはこちらをどうぞ…
大正10年10月、大阪朝日新聞に、妻から夫へ突きつけた絶縁状が公開されるやいなや、世情を騒がす一大スキャンダルとなった。妻は、華族の出身で歌人として名高い柳原白蓮。夫は、九州一の炭坑王・伊藤伝右衛門。白蓮は、夫と裕福な生活のすべてを捨てて、7歳年下の帝大生・宮崎龍介の許へと走った。これが、日本近代史に残る世紀の恋愛事件、世に言う「白蓮事件」である。
白蓮が伝右衛門と結婚したのは、明治44年。当時、白蓮27歳、伝右衛門は父親ほども違う52歳。白蓮は妾腹とはいえ大正天皇の従兄弟にあたる高貴な家柄で、炭坑夫から一代で財をなした伝右衛門とは不釣り合いなことから、「金で買われた結婚」と世間では噂した。
「金襴鍛子の帯締めながら、花嫁御寮は何故泣くのだろう」という歌や、菊池寛の「真珠夫人」という小説は白蓮がモデルといわれている。
白蓮自身は、世間で言われるような「悲劇の花嫁」というわけではない。自分なりの夢を抱いて伊藤家に嫁ぎ、伝右衛門も若い妻をいたわり可愛がった。短歌に打ち込む妻のために大金をかけ豪華な歌集を出版してもやった。この処女作「踏絵」以降、次々と作品を発表、中央歌壇にも認められた白蓮は、やがて「筑紫の女王」と呼ばれるようになる。
しかし、いくら贅沢な生活を送り、名流夫人としてもてはやされても、妻妾同居する家で無学な夫との生活は、いつしか心満たされぬようになる。そんな白蓮の前に現れたのが、宮崎龍介であった。
姦通罪があった時代、入獄も覚悟した、まさに命がけの恋だった。非難轟々と渦巻く中、二人は愛を貫き通し、伝右衛門の男らしい態度もあって、やがて離婚が成立。白蓮が81歳で亡くなるまで、貧しいながらも幸せな結婚生活を送ったという。
                  飯塚市商工会議所HPより
 ということで、あまりにもすごい人生だったわけで、そもそもこういう不釣り合いな結婚が成立したのは柳原侯爵家が貴族院選挙のための資金が欲しかったという話もあり、昔よくあるお話だったんでしょうね。

 しかしまあ、絶縁状を本人の出すのではなく、新聞社に出すというところがなんともはや…(-_-)

 そういうアダルトな話が有名なわりに、なぜか子供も見に来ていて不思議な感じがしました…。

 で、玄関には立派な字と思いきや…


 麻生総理がお書きになったそうです(^.^) そう、ここは麻生総理の地元!!

 麻生総理のお菓子も早々と売り切れるのは当たり前、いたるところで麻生総理の「麻生」の文字があふれておりました(^.^)

 で、こちら玄関…


 何と内部は撮影禁止!ええい、つまらん!!

 熊本城本丸御殿はフラッシュを使用しなければ撮影OKなのに、ここはNO!

 なんと肝の小さい!!

 ということでかいつまんで説明すると、敷地面積2,300坪、建物の延べ床面積では約300坪の大豪邸!!

 部屋数は20以上あって、和洋折衷の素晴らしい建物ですよ(^.^)

 いたるところに人形や京都を思わせる室内品が数多くあり、都会から来た白蓮がさみしくないように、伝右衛門がいかに気を使ったかがよくわかります。

 こちらは一階から二階の風景…。


 明治時代の面影が漂う…。

 この家には九州初の水洗トイレがあるそうです。

 それもまた伝右衛門が白蓮のためにわざわざ作ったそうです。

 それでも愛は伝わらんやったんやね…なんか痛々しい愛だなぁ…(+o+)

 庭に降りると屋敷の大きさがよくわかります。

 そんじょそこらのお寺さんでは太刀打ちできないような広~いお庭!!

 天竜寺のお庭ぐらいあるかな…。

 んでこちらが白蓮専用のお部屋…。


 この部屋で詩や歌を書いたり、はたまた駆け落ち相手の宮崎竜介あてのラブレターを書いたりしていたそうです。

 まさに踏んだり蹴ったりの伊藤伝右衛門!!

 さらにこの部屋には入口のところは施錠ができて、伊藤伝右衛門が入ってこられない仕掛けになっているとのこと…。

 実際、小さなにじり口があって、うかつに誰も入れないようになっていました。

 ここに来るまでは真珠夫人のあのスケベ親父の印象が強かったんですけど、こういうのを見せられたらなんか気の毒で…(T_T)

 中の展示品には白蓮が宮崎竜介に出した手紙などが展示されていて、瀬戸内寂聴さんや渡辺淳一などの寄稿文もあります。

 寂聴さんや渡辺淳一が好みそうな事件ですね(^◇^)

 なんというか、こういう全国的に恥ずかしい目にあった伊藤伝右衛門ですが、救いだったのは地元の人に愛されたことです。

 いろんな基金を設立したり、地元の整備事業にも精力的だったということですので、現代でも愛され続けているのだと思います。

 ちなみに…麻生総理の地元のお家はここより大きかったと思う…(爆)
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