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腹切り岩の一本桜

2012.04.09 10:12|をりふし・春

 
 杉の馬場から移動して「腹切り岩」まで歩いてきました。
 
 杉の馬場からだと、歩いて10分程度ですね。案内板がないとわかりづらい場所にあります。
 
 でもって、この桜は…痛々しかったil||li▄█▀█●il||liil||li▄█▀█●il||li
 
 この桜の木はそれほど大きくはないのですが、病気が入っているようでした。木全体が元気がなくて、桜の木の皮には苔がびっしり…。おまけに前の日の爆弾低気圧の影響を受けたのかもしれません。ああ、ちょっとガッカリ感が漂います^^;
 
 これがその腹切り岩です。
 

 
 ここには3つ、大きな岩があるのですが、どうもこれみたいです。
 
 1587年、豊臣秀吉が九州を平定するに当たり南下してきていたところ、時の城主秋月種実の家臣、恵利暢尭(えりのぶたか)が広島あたりにいた豊臣秀吉の軍勢を見て、「こりゃかなわん!」と種実に和睦を勧めました。
 しかしながら、種実はその進言を受け入れず、秀吉と戦う選択をしてしまいます。
 無謀な戦いを何とか止めたかった暢尭はこの場所で切腹しました。
 
 この岩の上でます自分の妻子を刺し、そのあと自分の腹をかき切ったと伝えられています。
 
 それでも種実は秀吉と戦うのですが、ご存じのとおり、自分が最も大事にしていた茶器を差し出し降伏し、この秋月の地を去ることとなりました。
 
 そののちに入城してきた黒田長興が暢尭の忠節を感じて、鳴渡観音(なるとかんのん)を立てたそうです。それがこちら。
 

 
 灯篭の奥に見えるのは、句碑ですね。最近のもののようです。暢尭のことを詠んだ句だと思います。よくわからんやった^^;
 
 実は腹切り岩についてはもうひとついわれがあって、このお堂の下にある岩の上で腹を切った…という説もあります。
 
 ガイドさんの説明によると、どちらが正しいというのは今もってわからないそうです。真相はともかく、最初の大きな岩のほうで腹を切るほうが、どちらかと言えばドラマっぽく感じます。だからその場所に暢尭をしのんだ石碑があるのかなぁ~なんて思いました。
 
 のちの歴史から見たら、何となく暢尭は「腹切り損」みたいに感じますが、秋月家はその後幕末まで日向の国のどこか(宮崎県のどこか)まで頑張ってましたよ。その後も続いているのかな…。
 家が続いてくれたことは、暢尭の死も無駄ではなかったということではないかと思います。
 
 ですが、こうしてみると後から来た黒田家のほうの歴史は華やかで…。
 
 すぐそばの黒田長政夫人の菩提所のお寺はこんなにきれい。
 

 来たものと去ったものの差は激しいなぁと、ちょっとおセンチな桜模様にも見えて^^;
 
 ここのお寺の枝垂れ桜は今からのようです。
 

 八重の枝垂れのようで、今は満開かな?
 
 こちらのソメイヨシノはもう終わりましたが、名残の桜で枝垂れを愛でるのもよさそうです(*^_^*)
 
 
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