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針尾山祇園寺の御朱印

2012.08.25 19:53|寺院探訪

 
 ここのところ、お寺の名前を変換するときに、結構びっくりな字に変換されていましたけど、今回はセーフでした(笑)
 ちなみに前回は「願成寺(がんじょうじ)」が顔情事に^^;
 
 こちらは針尾山祇園寺。もうお分かりだと思いますが、この地にあった「祇園社」の別当で、廃仏毀釈のあとすっかり別れたようです。
 
 針尾山と聞いてピンと来る人がいると思いますが…。
 

 
 境内のど真ん中にある石仏群から、「針尾電波塔」が見えます。
 
 針尾電波塔は太平洋戦争勃発時、かの「ニイタカヤマノボレ」の暗号を発信した場所として知られています。
 
 塔の高さが137m、周囲が30mの巨大な塔で、一片が300mのきれいな正三角形を描いています。
 
 針尾電波塔は国の重要文化財になっています。このお寺は電波塔のすぐそばにあるんですよ。137mですから、ゴジラと同じ大きさ?
 

 
 こちらが本堂です。テッキンバリバリですね!
 
 祇園寺はこちらを治めていた平戸藩主、松浦鎮信の発願だそうで、その前は曹洞宗だったのが天台宗に変わったそうです。
 
 本尊は如意輪観音ですが、もともとは薬師如来だったそうで、これも”大人の事情”で変わったのかもしれません^^;
 
 鐘楼堂にあった結構古そうな鐘楼。
 

 
 これは普通のなのですが…隣にはちょっと珍しい鐘楼がありました。
 

 
 日本製の鐘楼じゃないようですね。ポルトガル語かな?
 
 三つあるので針尾電波塔と関係あるのか??それか現在過去未来?
 
 字が読めると謎が解けたのですが、わからずじまいil||li▄█▀█●il||li
 
 かなり大きなお寺で、いろんな祠がたくさんありましたが、納経所のあるのはこちらの薬師堂。
 

 
 あ…白いカメラを持った幽霊さんが写っています^^;
 
 納経所と言いながら、こちらには誰もいなくて庫裏の方へ御朱印をもらいにUターン!で、中に入ってお参り…。
 

 
 天台宗のお堂は割とおとなしいのでしょうか?あまり華美じゃなかったです。
 
 薬師如来の前にある鏡は、やはり神仏習合時代のものなんでしょうか…。
 
 で、こちら薬師堂には「らくがき道場」があります。
 

 
 九州ではここが初めてだったですね。
 
 京都には「落書き寺」がありますが、まさかここにあるとは知らなくて、結構感激でしたよ。
 
 落書きと言ってもいわゆる「便所の落書き」ではなくて、願い事を書く「楽書き」のことです。当然ながら「便所の落書き」は一切なかったですね。善男善女の多いこと(*^_^*)
 
 私も書きましたよ。
 
 たしか”このころ”は体の調子があまり良くなかったので「健康祈願」を書いたと思います。薬師堂なだけに^^;
 
 で、奥の院方面にはたくさんの石仏があります。
 

 
 ●麿さんへサービスショット!
 
 なかなか良い枯れ具合の「馬頭観音」です。
 
 ここの石仏はみんなステキな枯れ具合でしたよ。かなり古いんでしょうね。
 
 御朱印はこちら…。
 

 
 
 日付がありませんが、平成22年3月29日に行きました。
 
 よーやく2年前の御朱印の更新です(爆)
 
 ズバッとご住職が書いてくださいました。
 
 坊守さんからお接待を受けました。ステキな坊守さん、ありがとうございました。
 
 九州四十九院薬師霊場三十五番 針尾山祇園寺
 
 九州四十九院薬師霊場HP…http://oyakushi.com/jiin/nagasaki/post-37.html
 
 

伝法山願成寺の御朱印

2012.07.23 09:37|寺院探訪

 
  最初「願成寺」をそのまま「がんじょうじ」って変換したら、「顔情事」で出てしまった!(爆)
 
 いったい、どんな情事なんやろ~~(笑)ワハハ!
 
 ということで、熊本県人吉市にある、相良藩の菩提寺の願成寺です。
 
 相良家は鎌倉時代、遠州(今の静岡県)からこの地を納めるべくやってきました。明治維新までず~~っとこの地にいて、いまだ続いている名家です。
 
 熊本県といえば、加藤清正&その後の細川家のイメージがとても強いですが、こと人吉に限っては完全に相良です。
 
 全国的にはメジャーではないかもしれない殿様だと思いますが(たぶん、加藤と島津に挟まれていたせいかも?)、人吉が独特の文化を持っているのは、他らなぬこの相良一族のおかげと言ってもいいと思います。
 
 で、その願成寺も遠州からきた僧侶が立てたお寺だそうで、このお寺は人吉城から鬼門の位置にあることから、ここが相良藩の菩提寺になったそうです。
 
 上は本堂。本堂も何度か火災にあっていますが、最近では西南戦争で焼けて、大正時代に建て替えられました。
 
 こちらは鐘楼堂。
 

 
 こちらはもっと新しかったですね(*^_^*)
 
 願成寺はもともと6つの付属寺院があったくらい、とても大きなお寺でしたが、今ではお寺の前に幼稚園があったりと、当時の面影はほとんどありません。
 
 人吉って、お寺に幼稚園があるところが多いような気がした…。
 
 こちらは「石造三重塔」
 

 
 高さが1.8メートル。室町時代のもので、市の文化財に指定されています。
 
 で、ここのは県の文化財に指定されている「石造七重塔」もあるのですが、何せ夏草が茂っていたので、うまく撮れませんでした><
 
 で、菩提寺というからには、ぜひとも墓地へ行かなくては…。
 

 
 墓地の入り口です。なんとまぁ、斜めに撮ってしまった(爆)
 
 たぶん、興奮してシャッターを切ったからだと思う(笑)
 
 こちらは初代長頼の墓。
 

 
 うわ~~~これまた斜めだ(爆)何していたんだろう…きっと、興奮して確認し忘れたんですね><次来たときには撮りなおそう^^;
 
 初代というだけあって、墓は豪華でしたよ。かなり大きいです。
 
 我が藩祖、鍋島直茂よりも大きい墓です。
 
 こちらが歴代藩主のお墓です。これは第一墓所。
 

 
 うむ、実に規則正しく美しく並んでいますね。けど…実は二代から十九代まで、バラバラに並べられています^^;なぜかは不明…。
 
 第一墓所の下の段には、それぞれ歴代の夫人と嫡男以外の墓があります。
 

 ちょっと大きいのが「夫人」ですよ。真ん中、ちょっと大きいのが義陽夫人です。Sさん、義陽夫人です(* ̄m ̄)
 
 こちらは二十四代「長興」の墓。
 

 
 長興の墓があまりにも立派だったので、何か功績があったのかと思ったら、特別大きな功績ってなかったようです。
 
 江戸時代の藩主の墓は大きいものが多いとのことでした。
 
 激動を生き抜いていた相良家みなさんは、今では美しい鳥の声と緑に囲まれた、とても静かな場所に”仲良く”眠っています(*^_^*)
 
 御朱印…。
 

 
 こちら、ご住職がズバッと書いてくださいました(*^_^*)
 
 本尊の阿弥陀如来像は平安時代後期の作。国重文に指定されている本尊は遠目にしか見えませんでしたが、シルエットが実に素晴らしかった。
 
 菊のご紋は、このお寺は「後陽成天皇勅願所」だったからだそうです。
 
 しかし、私は驚いたのは本尊ではなくて、ご住職愛用の硯でした。
 
 とにかくすごい硯で、その硯を入れている箱がこれまたすごかったんですよ!古い硯ですが、意匠がものすごい!!
 
 すごいとしか言いようがないのですが…これはご住職専用の硯らしいので、ご住職が書かれる時しか見られません。
 
 あまりにすごいので写真に撮ってブログアップしたかったけど、盗難に遭うかもしれないのでやめました^^;それくらいすごいということで…。

永国寺(ゆうれい寺)の睡蓮

2012.07.13 10:14|寺院探訪

 
 日曜日に熊本県人吉市に行ってきました。
 
 この日は梅雨の合間の晴れの日。昨日今日、熊本県地方はものすごい雨で被害が出ています。
 
 人吉の近くも被害があるようで、この日にお世話になった方たちは無事なのだろうかと、ちょっと心配しています。
 
 早く雨が止んで、これ以上被害が広がらないことを願ってやみません。
 
 さて、この日、いろんな所へ行ってきたのですが、最初は永国寺。
 
 ここは幽霊の掛け軸があることでとても有名なお寺です。
 
 お寺の歴史はとても古く、約600年ぐらい前の創建だそうです。
 
 仁王門は最近修理が進んだようできれいでした。
 
 仁王門の上に鐘楼があるので、鐘楼門も兼ねているんでしょうね。
 
 このお寺には千人塚石塔(耳塚)があります。
 

 
 こちらは朝鮮出兵の折、豊臣秀吉が諸大名に、手柄の証拠として、敵兵の耳や鼻を削ぎ落し、塩漬けにして「目録」として提出するよう命令したもので、当時の相良藩藩主二十代「頼房」は1800もの耳と鼻を秀吉に進上したそうです。
 
 この石塔はそれらを供養するために建てられた石塔ですが、以前は門前にあったものが、今は仁王門の前に置いてあります。
 
 梅の木(?)の下にあって、石がかなり古いので、立て看板を見ないとわからないかも?
 
 で、こちらが本堂。こちらも新しいですね。
 

 
 ここは西南戦争の折、西郷隆盛が大本営を築いたお寺だったそうです。
 
 田原坂の戦闘で敗れた西郷隆盛は、いったん山の囲まれたこの人吉に引きます。
 
 ですが、人吉城はすでに焼失していたので、こちらに陣を構えたのですが、官軍の勢いは止まらず、西郷は今の宮崎県の小林市付近に逃げることになりました。
 
 このお寺にはその西郷の位牌があるのですが、本尊のすぐそばにあるので、遠すぎて見えなかった…il||li▄█▀█●il||li
 
 官軍がここに攻めてきたので、このお寺は焼けてしまいます。古くからの寺宝もすべて焼かれてしまったのですが、唯一残ったのが「幽霊の掛け軸」でした。
 
 ということで掛け軸…。
 
 
 
 なのですが、実際写真を撮ることは可能でしたが、ガラスケースに入っていましたので、たぶん「カメラを持ったもう一人の幽霊」も写りこむのでやめました。
 
 怖くて見たくない人もいるでしょうし…ということで、いろんなHPを見ましたが、これが一番わかりやすかったので、こちらのHPからご覧ください。見たい人は(^_-)-☆
 
 
 実際はこの写真よりも、もっと色がついていました。やはり、ガラスケース越しだから、ちょっと色が写りにくかったのかもしれませんね。
 
 で、特に印象的だったのは、目の部分…。もともと「黒目」は小さかったのでしょうけど、時を経て色が薄くなっていますので、パッと見ると、白目剥いているようで、余計に迫力があるんですよね。
 
 この絵は、この永国寺の池に現れた幽霊で、実はある方のお妾さんだったそうで、本妻の嫉妬に苦しみ、球磨川に身を投げて亡くなってしまいました。
 
 その後、恨みとなって本妻を苦しめ、本妻がこちらのお寺に駆け込んできたところ、池に現れた幽霊が、この絵を描いた実底和尚に説き伏せられ、成仏したんだそうです。
 
 幽霊さん和尚が描いた自分の姿にショックを受けたんだそうですよ^^;
 
 で、こちらがその幽霊さんが出たとされる池です。
 

 うむ!雰囲気バッチリですね(爆)
 
 

 とても美しい庭で、人吉の「お庭御覧」に指定されている、中世から残る武家文化の象徴なのだそうです。
 
 今の時期は睡蓮がとてもきれいで、つつじの時期も良いそうです。
 

 
 ここについたころはこれからしぼむ直前だったようで、セーフでした^^;
 

 
 ちなみに、幽霊さんはその後出ることはなかったそうです。
 
 でた!!!!!
 

 亀です(爆)
 
 

 この仏様の後ろには幼稚園があります。
 
 ゆうれい寺の横の幼稚園…なんとも微妙でしたが、子供たちは怖くないんでしょう(*^_^*)
 
 今は、幽霊よりもむしろ、生きている人間のほうが怖いのかもしれませんね…。

法川山和銅寺の御朱印

2012.05.17 15:03|寺院探訪

 
 よ~やく、今月最初の神社仏閣記事です…。
 
 今回は行基が元明天皇の勅命を受けて建立した和銅寺というお寺です。
 
 和銅元年ですから…708年。かなり古いお寺ですね(*^_^*)
 
 本堂の入り口には、古い仁王像が縛り付けてあります。
 

 
 今まで見た中で、一番古い仁王像かも…このお姿にビックリ!
 
 なんでも慈覚大師(円仁)が作ったとされる仁王像だそうです。
 
 慈覚大師が作った…というと、平安前期ですよね?うわ~!それがこのようにしてあるなんて…。しかしながら、仁王像はお寺にやってくる悪魔ににらみを利かせるのが仕事なので、朽ち果てるまでこの姿なのでしょう。
 
 よくよく考えたら、東大寺の金剛力士像も国宝ではあるものの、屋根が付いていても雨風の影響はモロに受けるので、本来の仁王像の姿というのはそういうものなのかもしれません。
 
 それにしてもやはり目を引いてしまいます…今はこの虎ロープはしているのだろうか^^;
 
 こちらは行基七菩薩の一つ、十一面観音だそうで、五十年に一度のご開帳だそうです。で、「山と渓谷社」から出ている「九州西国霊場」の本に、その秘仏の写真が出ていました。
 

 
 こちらなのですが、行基が作ったならば、奈良時代ごろなので、それにしては新しすぎる気がします^^;
 
 ひょっとしたら、これはお前立なのかも?
 
 本に書いてあったので間違いないと思うのですが…。
 
 実は平成二十年にご開帳があったばかりなので、ご覧になった方、良かったら教えてください^^;
 
 自分が確認するためには平成七十年まで待たないといけません(爆)
 
たぶん生きていると思うけど^^;
 
 で、こちらの本堂の中には一木造の行基像があります。
 

 腕の部分は朽ち果ててきていますけど、お顔ははっきりしていますね…いつごろ作られたかは不明です。
 
 こちらは弘法大師像。
 

  すごいインパクトがありました!袈裟の襞が素晴らしいです。
 
 こちらの本堂には立派な杉戸絵。
 

 いったいいつのだろう…。
 
 こちらは四天王のうちのお二人。
 

 
 後ろにお遍路さんの杖があります。大きさはそんなに大きくはないですけど、これもかなり古そう…。やはり古刹ですね~~。
 

 
 これはどなたかが奉納したみたいです。対であったのですけど、かなり立派だったので激写しました。これってひょっとして、ひょっとすると…。
 
 実はこの和銅寺には、かの戦国武将龍造寺隆信の墓があります。(公式の墓所は佐賀市高伝寺)
 
 実は島原での戦のためにこの寺に滞在していたのですが、このお寺に古くから伝わるおみくじを引いた龍造寺隆信、何度引いても「凶」しか出なかったそうです。
 
 不幸なことにおみくじが当たってしまい、龍造寺隆信は六万の兵を以てしても、たった五千の島津家久の軍に敗れてしまいました。
 
 逸れてしまいましたが、時間の関係でゆっくりできなかったのですけど、いつかもっと時間をかけてみてみたいですね(*^_^*)
 
 御朱印…。
 

 
 素晴らしい!本尊は梵字で書かれています!
 
 この梵字は本当に難しい字ですよね…さすがです。こちらは「ズバッと!」ですね(^_-)-☆
 

竹崎山観世音寺の御朱印

2012.04.28 17:25|寺院探訪

 
 つつじの写真をいっぱい撮ってきたのですが、その前に神社仏閣ブログらしくお寺の記事を…。
 
 そう、今年は最低でも月2回の更新の年頭所感をしたので…^^;
 
 ということで、佐賀県太良町の竹崎山観音寺です。ここは1200年の歴史ある古刹なんですよ。
 
 709年に、あの行基によって開かれたお寺で、ここの本尊は行基が作った千手観音です。例の「行基七観音」の一つですね。
 
 お寺は竹崎の港を通って、山へ登る途中にあります。
 
 本堂は新しく建て替えられたようですね。なかもとってもきれいでした(*^_^*)
 

 
 お前立がありますが、本尊ご開帳は五十年に一度だそうです。一回見たら次があるかないかの微妙な五十年ですね^^;一般に「竹崎観音」と呼ばれているそうです。
 
 こちらには外にも見どころのある石の塔があって…。
 

 
 「石造三重塔」と呼ばれるものです。鎌倉時代のもので、九州ではここともう一か所しかないとのこと。
 
 かなり風化もしてあるのでわかりにくいと思いますが、きちんと瓦の選も入っているし、窓の部分には仏様の像や孔雀文様が彫られていて、当初は木造建築と変わらない形をしていたそうですよ。当然、県の文化財に指定されています。
 
 周りには宝筺印塔がたっくさんあります。
 

 
 昔は大寺院だったそうですが、今ではコンパクトになってます。でも、こうして名残はたくさんありますね。
 
 そしてここは弘法大師が唐から帰ってきたときに立ち寄ったと伝えられています。
 
 ということで、外にはお大師さんの像がたくさんありました。
 

 
 こちらが一番のおにゅ~でした。
 
 弘法大師が唐から帰ってきて最初に上陸したとされる地域はほかにもたくさんあります^^;
 
 有明海ルートが一番安全なんだと思いますが、内海に入るよりも、長崎あたりで上陸しても…とか言うのはナシでしょうか(爆)
 
 砲弾もあって…。
 

 
 この辺りで見つかったんでしょうか^^;でっかいでっかい!
 
 石碑には「大東亜戦争終結引揚事業祈念」とあったので、大陸からの引き揚げてきたこちらの人たちの供養塔なんでしょうか。
 
 ということで御朱印…。
 

 
 おお!ようやく平成二十二年になりました(爆)
 
 今回は「モヤッと」ですね(* ̄m ̄)
 
 霊場会関係ののHPで見た字とは全然違います…。
 
 あ、そうそう、このお寺の駐車場前の道路に、あの太良町の蟹のマンホールがあります。
 
 マンホリストさんは、ちゃんと覚えておいてくださいね(笑)
プロフィール

ふぅ

Author:ふぅ
メインは神社仏閣ブログです。
現在突貫工事中です。

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